2009年07月24日

スクリャービン 交響曲第1番ホ長調

蒸し暑い夜が続きます。かすかに浜風が吹いているようにも思えますが、空気はどんよりとしています。思いを浜辺に寄せます。波が静かに寄せては返す風景が浮かびます。

 静かな波が次第に高まっていく

 波の音を聞いていると、スクリャービンの交響曲の持つ濃厚なロマンの世界を思い出します。まさに、波のような音楽です。彼の交響曲はもっぱら第4交響曲『法悦の詩』ばかりが取り上げられますが、濃厚なロマン性、波動のような独特な音の世界は、すでに第1交響曲から顕著に見られます。

 スクリャービンは1872年にロシアで生まれました。ラフマニノフとほぼ同い年で、モスクワ音楽院では同級生でした。2人とも音楽院ではずば抜けて優秀で、卒業時にともに金メダルをもらったそうです。また、ともピアノ曲が得意で、曲想はロマンティックですが、

ラフマニノフは叙情的ロマンティシズム
スクリャービンは官能的ロマンティシズム

と対照的です。時代的にはチャイコフスキーとプロコフィエフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィッチの間をつなぐ存在として認識されていますが、スクリャービンの音楽的特徴は「つなぎの存在」をはるかに超えていると思います。

 スクリャービンは交響曲を5曲作曲していますが、彼のピアノ曲と比べればマイナーな存在で、第1番、第2番に至ってはほとんど取り上げられることがありません。両曲とも

『トリスタンとイゾルデ』の亜流

とみなされても仕方がないほど、ワーグナー的です。しかし、そこにはワーグナー以上にロマン的、官能的な音楽が響いています。


波のような弦楽器の響き   まるで夢の中をさまようようです
甘い木管楽器の響き     楽園の小鳥のさえずりのようです
衝動のような金管楽器の響き 非常にエロティックな雰囲気です


交響曲第1番は全6楽章からなり、最終楽章では、合唱が芸術賛歌を歌い上げます。この最終楽章は、前の5楽章と異なり、夢からさめたような明るさを持っています。まるで、ドラマのエピローグのようです。

第1楽章 レント
官能的な音楽の始まり。何もないところからドラマが始まる。

第2楽章 アレグロ・ドラマティコ
衝動が頭をもたげる。圧倒的な官能の波。

第3楽章 レント
楽園の休憩

第4楽章 ヴィヴァーチェ
楽園での目覚め。

第5楽章 アレグロ
濃厚なロマンの崩壊。夢の終わり。

第6楽章 アンダンテ
エピローグ。芸術による人類の救済。

蒸し返る夏の夜。スクリャービンの濃厚な音楽に身を浸してみたいと思います。暑苦しい夜に、濃厚な音楽を聴くと、余計に暑苦しくなるのではないかという気もしますが、濃厚なロマンは妙に気持ちのいいものです。
 

posted by やっちゃばの士 at 00:07| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | スクリャービン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月29日

スクリャービン 交響曲第2番ハ短調

 流れる雲に。涼しげな三日月。浜辺の風は、塩を含んでべとべとしています。波を飲み込むような闇に、大輪の花火が上がっている。

濃厚なロマンとカタルシス
叙情の洪水とリリシズム


 今宵もスクリャービンの濃厚なロマンの世界に浸ってみたいと思います。第2交響曲は第1交響曲以上に濃厚なロマンの世界を描いた大作です。

闘争から勝利へというストーリー性
50分を超す大作
巨大な緩徐楽章の濃密なロマン
緊張感漂うブリッジ楽章と輝かしい終楽章



とどこかラフマニノフの第2交響曲を髣髴とさせるところがあります。両者の第2交響曲はまさに

ロシアの生んだ濃厚なロマンシンフォニーの双璧

です。波の中をさまようような、暑苦しさも多少ありますが、多彩な音色と、考え抜かれた構成、コラール風の美しい主題、時折見せる悪魔的な表情が、単調さを感じさせません。

 また、ロシア音楽を感じさせない非常にコスモポリタン的な音楽であることもスクリャービンの音楽の特徴です。ロシアよりもフランス
風のところが多分にあり、ドビュッシー、フランキスト風です。

第1楽章アンダンテ
全体の序奏部分に当たります。混沌とした悲劇の始まり。これから始まるドラマを予感させます。

第2楽章アレグロ
ここから本幕。ポエトリーな主題が力強く展開されていきます。

第3楽章アンダンテ
楽園の音楽。木管楽器の小鳥のさえずりと、トランペットの輝かしい響きとともに登場するコラール風の音楽にうっとりします。

第4楽章テンペステゥーソ
悪魔的な嵐で始まるブリッジ楽章。

第5楽章マエストーソ
輝かしい勝利の音楽。第1、第2楽章の主題が回想されるあたりは、フランクやサン・サーンスを髣髴とさせるところがあります。


この交響曲は、スクリャービンのロマン的作風時代の頂点です。次の第3番『神聖の詩』で違う方向を目指すようになります。

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ルドン ペガサスに乗るミューズ
posted by やっちゃばの士 at 23:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | スクリャービン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月30日

スクリャービン 交響曲第3番ハ短調『神聖な詩』

 傷ついた巨大な怪物。誰しもの心の中にこのような怪物を持っています。否定もしないし、肯定もしないが、圧倒的な存在感を持つのがこの怪物です。

『神聖な詩』の冒頭のグロテスクな金管楽器の響きは、この巨大な怪物の出現を想像させます。

 スクリャービンの交響曲は、この作品からあやしい雰囲気を醸し出してきます。「耽美主義」とでも言ったらいいのでしょうか。闘争から勝利へといった精神的なストーリー性が少なからず感じられた第2交響曲とは違い、この曲には


苦痛から快楽へ


という官能的なストーリー性が流れています。曲想はますます現実の世界から離れ、何か夢の中を彷徨っているかのような感覚になります。

第1交響曲 全6楽章
第2交響曲 全5楽章


でしたが、この曲では各楽章に相当する3つのパートが続けて演奏されます。表向きは単一楽章になっています。こういった構成から

意識の流れ
形あるものから無形なものへ
絶対的なものから相対的なものへ


といった作曲者の意図を感じることができます。この曲が作曲されたのは20世紀の初頭ですが、この時代は、芸術、哲学、科学のすべての分野において、

モノからコトへ
秩序から無秩序へ
調性から無調へ


という考え方、価値観のシフトが起きます。この交響曲は調性をまだ持っていますが、次の『法悦の詩』では無調になります。時代の影響を受けたからかどうかはわかりませんが、一個人の創作の発展の結果という必然性もあるのではないかと思います。詩的な世界を究めていくと、ただ波のような心の運動(エネルギー)だけが残るのかもしれません。


第1部 闘争
鈍重な巨人のファンファーレに続き、どこか後ろめたいセンチメンタルな主題が顔を出します。僕はこの主題を聴くと、

『ワルキューレ』の冒頭の、ジークムントの逃走の音楽

を思い浮かべます。破れかぶれの苦痛と、苦痛から逃れようとするあこがれのようなものが、ドラマティックな音楽を作っています。

第2部 悦楽
どこか非現実的な夢の園での響きです。苦痛から逃れた巨人は癒され、まどろみます。深い眠りへ、限りなく落ちていく存在。

まるで『トリスタンとイゾルデ』の夜の音楽のようです。

また

『ニーベルングの指輪』のブリュンヒルデの動機によく似た主題が何度も登場します。


夜の世界に光り輝く太陽。弦楽器は悦楽の中を突き進む感情の高まりを奏で、時折聞こえる金管楽器の重々しい響きは、悦楽の大地ごと太陽から遠ざかり落ちていく感覚を表します。それでも、悦楽の園にはまるで何事もなかったように小鳥のさえずりが聞こえます。深く深く落下していきながら、巨人は次第に夢から覚めていきます。第3部へと続く直前の下降する音楽は、まるで夢の中から意識が浮かび上がってくるような印象を与えます。


第3部 神聖なる戯れ
夢から覚めた巨人は、苦痛を忘れて踊りだします。さわやかな波の音と風の息吹。軽やかなトランペットとハープの響きが印象的です。そう巨人は癒されたのです。前の交響曲(第2番)と同じように、第1部と第2部の音楽が思い出のように顔を出します。過去の苦痛も快楽も、すべてが芸術(音楽)のパレットの上で溶け合い、より大きな喜びへと発展していきます。ちょっと怪しいけれども、とても感動的な音楽で、何度でも聞いていたいと僕は思います


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ルドン『キュクロプス』
posted by やっちゃばの士 at 23:53| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | スクリャービン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月04日

スクリャービン 交響曲第4番『法悦の詩』

 スクリャービンの名実ともに代表する作品。この曲はもっぱらエロティックなエクスタシーを描いたものという評判があまりにも強いので、僕は初めてこの曲を聴くとき、


一体どんな作品なんだろう


というちょっと恐れにも似た感情を抱きました。獣のようにトランペットが吠えまくる印象ばかりが残り、第1番から第3番までの交響曲と比べるととっつきにくい感じがしました。そのせいか、第1番から第3番までをもっぱら聴いていましたが、スクリャービンの世界にどっぷり浸かってから、この『法悦の詩』を改めて聴き直してみると、それまではわからなかった


スクリャービンの意図
第3番までの作品の延長にあること
無駄が省かれた濃縮な作品
ストラヴィンスキーの『火の鳥』を先取りする作品


などといったことが見えてくるようになりました。ちなみに、このタイトルの『法悦』という言葉は原題の『エクスタシー』を意訳したものですが、法悦という言葉は

@信仰的な神聖な喜び
Aうっとりするような喜び、恍惚状態


を意味します。僕はこの曲を何度も聴いて、「エロチックな官能エクスタシー」を描いた曲と解釈するのはあまりにも一面的でもったいないと思いました。もともと音楽とは神聖なものであると同時に官能的なものです。このことは、

人間は心と肉体から成り立っている

ことと同じです。この曲には精神と肉体の恍惚の極みが、音楽によって描かれています。スクリャービンが表現したかったのは

音楽とは恍惚の極み
精神と肉体の恍惚は音楽の極み

つまり

音楽(芸術)と精神(神聖)と肉体(官能)の三位一体

だったのではないかと僕は考えています。


この曲で恍惚の波は、まるで燃え盛る炎のように音楽で表現されています。

小さな炎から大きな炎へ

さきほど、『火の鳥』を先取りしていると述べましたが、この交響曲の冒頭の音楽は、『火の鳥』の印象とよく似ています。2曲の作曲年は

『法悦の詩』が1905年
『火の鳥』が1910年


です。ひょっとするとストラヴィンスキーはスクリャービンの影響を受けたのかもしれません。

さて、2曲に共通するキーワードは「火」、「炎」、「燃える」ですが
これらのキーワードは感情の高まりを表現する言葉としては最適です。

燃える思い
情熱
炎のような信仰


つまり、

エクスタシー(恍惚)とは「炎」で表わされるということになります。スクリャービンの続く第5交響曲の標題は『プロメテウス』です。『プロメテウス』はギリシア神話の火をつかさどる神です。

エクスタシー=炎の信仰

に至るのは極めて自然な流れなのではないかと僕は思います。『法悦の詩』において、スクリャービンは創作の炎の頂点に立ったのではないでしょうか。

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カンディンスキー『モスクワT』












posted by やっちゃばの士 at 00:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | スクリャービン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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