2008年10月09日

ハイドン 弦楽四重奏曲第77番ハ長調『皇帝 』

 透き通る青空が気持ちのよい先日、家族で葛西臨海公園にピクニックに出かけた。公園内の丘の斜面には秋の花であるコスモスが海風に揺られて気持ちよさそうだった。

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 日曜日だったので広場では、大道芸人たちが順番に大道芸を披露していた。そんな中に、スコットランドのバグパイプを演奏する大道芸人がいた。バグパイプの力強い音色を聴いていると、自然に『皇帝』の第1楽章の展開部分の力強い音楽を思い出した。

 ここのところ、弦楽四重奏曲ばかりを聴いていて、ブログにも取り上げているので、ついつい弦楽四重奏曲に結びつけてしまうところがあるのだが、この連想はあながち的はずれなものではないかも知れない。ハイドンがこの曲を作曲したのは、イギリスを訪問した後の年。有名な第2楽章の皇帝賛歌がイギリス人たちがイギリス国家を愛唱する姿に啓発されて作曲されたことは有名だが、第1楽章にもイギリス滞在の影響が反映されていても不思議ではない。

 この曲は第2楽章ゆえに有名曲のひとつになっているのだが、第2楽章以上にすばらしいのがこの第1楽章だ。第1主題は本当に平凡な主題だが、第2主題の突き上げるような力強さに、「この曲は凡作ではありませんよ」というハイドンの仕掛けを感じる。そして平凡な主題の力強い展開と壮大な構成。第2楽章を待たずしても、この曲はハイドンの「皇帝」であることを悟るのである。

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2008年10月13日

ハイドン 弦楽四重奏曲第76番ニ短調『五度』

 ハイドンの曲、特に交響曲、弦楽四重奏曲を聴いているとモーツアルトの日陰に隠れてしまってかわいそうだなと思うことがよくある。このジャンルの様式の確立はハイドンだが、同時代人のモーツアルトはその確立された様式を発展させて、ハイドンの魅力をはるかにしのぐ音楽を生み出していった。

 ハイドンになくてモーツアルトにあるものは、歌謡性や深い抒情、色彩感などきりがないが、モーツアルトになくてハイドンにあるものはなんだろうかと考えてみた。ユーモアかな?モーツアルトにも天真爛漫なユーモアはふんだんに見受けられるが、ハイドンのユーモアはちょっと性質が違うのではと思ってしまう。常識的な職人のユーモアとでも言ったらいいだろうか。たわいのない平凡なユーモアである。

 さて、『五度』はハイドンの数少ない短調で書かれた曲のひとつ。おそらく、ニックネームの由来となった第1楽章で何度も顔を出す五度音型と親しみやすい短調の主題は、一度聴いたら忘れられないほどの魅力がある。先回ブログで取り上げたモーツアルトのニ短調四重奏曲は深刻で、聴くのに覚悟が必要だが、ハイドンのニ短調はいつでも気軽に聴くことができるのが強みだ。ラジオ番組やテレビドラマの導入曲に使えば間違いなくヒットするだろう。

 ところで、有名な五度音型だが、これこそ時計の秒針の刻みにそっくりである。交響曲101番に『時計』というニックネームをとられてしまったが、忙しい現代人には、四重奏曲の方がぴったりではないか。「光陰矢のごとし」時計の針の刻みに、無邪気な楽しみを感じるのは子供だけかも知れない。



 

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2009年01月16日

こんな時はこの曲「新年に聴きたい曲A」

 もう15日も過ぎてしまいましたが、来年の新年まで待てないため、今日も新年の曲。

ハイドン弦楽四重奏曲第78番変ロ長調『日の出』

 今年は初日の出を見過ごしてしまいましたが、布団の中で見事な初日の出の情景を思い浮かべていました。ゆっくりと昇る朝日。この四重奏曲の第1楽章冒頭の上昇カーブはまさに正月の初日の出にふさわしい。

 この曲はハイドンの弦楽四重奏曲の最後を飾る『エルティーディ四重奏曲』全6曲の第4曲目。それにしても、この曲集はすばらしい。この曲が作曲されたのは1796年

モーツァルトのハイドンセットが1782年
ベートーヴェンの初期弦楽四重奏曲集が1798年

なので、この曲は結構新しいのです。ハイドンと言えばモーツアルトより前の人と思ってしまうかもしれませんが、ハイドンは長生きでしたから。この曲集はハイドンの独創性が本物であることを証明しています。




 
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2009年02月14日

ハイドン 交響曲第88番ト長調『V字』

 かなりヘビーな曲が続いたので、軽めな曲を。ということでハイドンを聴いてみたいと思います。

ハイドン風

という言葉が存在します。この言葉は、ロマン派以降交響曲が重厚肥大化する中で、その流れに逆行するかのような「あえて軽めでシンプルな曲」の例えとして使います。例えば

ショスタコーヴィッチの交響曲第9番
プロコフィエフの古典交響曲


などの曲を一言で説明するとき「ハイドン風の交響曲」といえば、「短くて軽い」曲なんだなあとクラシックファンは想像できるわけです。

ところである一つの疑問がここで生じます。

ハイドンの音楽は本当に軽いのか

 ハイドンは数多くの作品を量産しました。交響曲は全部で104曲。その中でよく知られているものは、ある程度のクラシックファンでも20曲程度ではないでしょうか。そう意味では成功ヒット率は低く、内容のない作品をたくさん作ったという見方ができます。また、モーツアルトやバッハのように深く心を揺さぶる作風ではありません。したがって、軽いと見られる傾向があるようです。

 しかし、上記のような見方は他の大作曲家と比較相対した場合の評価です。他の大作曲家のことを忘れて、素直に聴いてみると、おもしろい発見や、ある種の爽快さを感じることができます。ということで、ハイドンの凄味がわかる1曲

交響曲第88番『V字』

 ニックネームの『V字』にはたいした意味はありません。ただ、この曲の楽譜の番号がVであっただけのことです。V字のような音楽を期待するとがっかりしますのでご注意下さい。

 それでもあえてV字に意味を持たせようとすることは無意味であるとも思いません。なぜなら、この曲は

ハイドンの凄味が見事に表れている

からです。ハイドンの凄味とは

平凡な主題を徹底的に反復展開すること

このことは、実はクラシック音楽の原点であり、後世の作曲家に大きな影響を与えました。また、この主題の展開というのは他の芸術、しいてはビジネスにも活かせる方法なので、現代の僕たちにとっても頭のトレーニングになるのです。

原点と頭のトレーニング

これこそが、音楽がそこそこ単純明快であるからこそ楽しむことができるハイドンの音楽の特徴なのです。

第1楽章アレグロ
弦楽器による地味でさわやかなアダージョの序奏で始まる。やがて単純な第1主題。そして第2主題。感動的なメロディがあったり、奇抜な仕掛けがあったりするわけではない極めて平凡な主題なのですが、これらが、徹底的に有効に展開されていく。もう本当に聴いていて、爽快で気持ちがいい。

第2楽章アダージョ
穏やかだが、歌心に満ちていて、変化に富んだ変奏曲。ブラームスが「自分の交響曲はこのように響かせたい」と賞賛した。

第3楽章 メヌエット
力強い舞曲。中間部ではバグパイプのような力強い響きが聴かれる。ハイドンはバグパイプのような響きが好きなのかな。ちなみに、ハイドンとバグパイプと言うことで僕の主観的な記事を少し。

http://yachaba.seesaa.net/article/107837606.html

第4楽章アレグロ
軽快で力強い音楽。ベートーヴェンを感じさせるようなところがある。



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2009年02月17日

キーワードクラシック「ひばり」

 先日は春一番が吹き荒れ、汗を流しながら仕事をしていたものですが、今日は一転すごく冷え込みの厳しい1日でした。

それでも


三寒四温

これから徐々に暖かくなっていくのでしょうね。2月という月は、寒いけど寂しい月ではないですね。なぜだろうと考えると、


やはり日が段々長くなっているからでしょうか。暖かい日差しが妙にまぶしいお昼時、青空を見ていると、ぽかぽかした田舎の田んぼの風景が思い浮かびます。

菜の花
つくし

そして

ひばり

ひばりは「うぐいす」「つばめ」と並ぶ春の代表的な鳥です。その特徴は、田園上空でせわしなく響く鳴き声にあります。クラッシク音楽には多くの鳥が登場しますが、今日は「鳥」ではなく「ひばり」をキーワードにしてみました。

「ひばり」と言えばなんと言っても、

ハイドンの弦楽四重奏曲第67番『ひばり』

です。この『ひばり』というニックネーム、実は作曲者ハイドンが名づけたものではありません。したがって、『ひばり』をイメージして作曲された曲でもありません。第1楽章の優雅な第1主題が『ひばり』を連想させることから、誰かがこのニックネームをつけたようです。

それにしても、この『ひばり』の主題は、

優雅で歌謡的です。

おそらく一度聴いたら、忘れられない旋律です。ひばりというと、聴覚的には、もっとせわしないイメージがあるのですが、この主題はゆったり落ち着いています。おそらく、「ひばり」を視覚的なイメージで捉えているのではないでしょうか。

そして、主題が美しいだけで終わらないのがハイドンです。この主題は入念に形を変えて展開されていきます。



それから、もう1曲

ヴォーン・ウィリアムズのヴァイオリンと管弦楽の小品『揚げひばり』

ちなみに、「揚げひばり」とは、春の野に飼っているひばりを放し、さえずりと共にその高さを競うという、昔の日本にあった遊興のことです。この曲のタイトルですが、英語では

The Lark Ascending

なので、「舞い上がるひばり」といったタイトルの方がふさわしいような気がします。この曲は、作曲者自身が「ひばり」の姿をイメージして作曲したものなので、まさに「ひばり」そのものです。ただ、作曲者は春ではなく、夏の景色をイメージして作曲したようです。それでも、日本人の感覚から言えば、この曲を聴けば、春の情緒が漂ってくるはずです。

優雅で大変ロマンティックな音楽です。

ちなみに、作曲者は次のような詩に触発されて作曲しました。


ひばりは空に舞い上がり
くるくると回り始め
歌を歌う
それは銀の鎖
フォルテッシモやピアニッシモ、スラーにトリル・・・
いろいろな輪っかが えんえんとつながっている鎖

歌の鎖は天まで届いて 地上には愛があふれる
どこまでも高く高く ひばりがはばたいていく
谷はきらきらと輝いて ひばりの杯になる
ひばりの歌がぶどう酒となって 杯を満たす
我らも天にのぼる ひばりとともに

そして ひばりは 光の輪の中に消えた
あとにただ歌の幻だけを残して



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2009年12月03日

ハイドン 交響曲第45番嬰へ短調『告別』

 ハイドンの『告別』交響曲は、ハイドンの100曲を超える交響曲の中で最も強烈な印象を与える曲ではないだろうか。

 この曲で有名なのは、楽団員が演奏中に次々と席を去っていくというエピソードがある第4楽章だが、それ以上に強烈なのは、第1楽章だろう。


下降する主題のしつこい繰り返し


を聴いた人は、この主題を忘れることはないだろう。降り注ぐ悲しみの波に浮かび上がる暖かい旋律が、人間的な温もりを伝えてくれるところがハイドンらしい。僕はモーツアルトの両ト短調交響曲に匹敵するすごい作品だと思う。

 ここまで、しつこく繰り返される下降音型には、ハイドンのメッセージがあるように思う。おそらく、毎日毎日家族とはなれて演奏を繰り返す楽団たちの気持ちが込められているのだろう。そのように解釈すれば、この曲ははっきりしたストーリー性を持っていることになる。


それにしても、


ハイドンの交響曲は実験的で実に刺激的だ。

モーツアルトの初期の交響曲にはない楽しみがある。ハイドン探検はとても楽しい。


ラベル:ハイドン 交響曲
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2009年12月25日

ハイドン 交響曲第26番ニ短調『ラメンタチオーネ』

 気がつけば、クリスマスもあっという間に過ぎ去ろうとしている。クリスマスにふさわしい音楽はあげるときりがないが、あまり注目されないもので、僕が好きなのが、ハイドンの『ラメンタチオーネ』。


ラメンタチオーネとはグレゴリオ聖歌の哀歌


を意味する。哀歌とは旧約聖書の中の預言書のひとつ。枯れた失望の中に、未来への希望を抱く歌である。やや強引だが、今の世の中に重なるところがあるかもしれない。

ハイドンはこの旋律が好きだったのだろう。交響曲の第1楽章、第2楽章に引用している。クリスマス用に作曲されたわけではないが、


第2楽章のアダージョ


は厳しい現実の中で、未来への希望を託す人の聖夜にぴったりくる音楽ではないだろうか。


ゆっくりと次第に浮き上がってくるような癒しの音楽

時折ひびくホルンがとても温かい。小雪のひらひらと落ちてくる夜、見えない光がすうっとそばを通り過ぎていくようだ。

それにしても、ハイドンのエステルハージ時代の短調交響曲はどの曲も大変印象深い。もっと演奏されてしかるべきだと思う。





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2010年02月02日

ハイドン 交響曲第44番ホ短調『悲しみ』

 ハイドンはその長い生涯の全範囲にわたって交響曲を作曲している。その作風の特徴は次の4つの時期にわけることができると思う。

第1期 エステルハージ副楽長時代まで
第2期 エステルハージ楽長時代前半
第3期 エステルハージ楽長時代後半
第4期 ザロモン興行時代



ハイドンの交響曲と言えば、第3期の後半から第4期に作曲された交響曲がメジャーだが、内面性という点では第2期の方が上なのではないかと僕は思う。

 
 第2期の短調交響曲の一群は

ハイドンのシュトルムウントドランク(疾風怒濤)交響曲


と呼ばれているが、実際に曲を聴いてみると、そのようなイメージはそぐわないものではないか。おそらく、ユーモアの要素が多いハイドンの交響曲の作風から見て、異色の存在なのでこういった大げさなニックネームがついてしまったのだろう。


僕はこれらの曲を聴くたびに、


ハイドンの芸術家としての内面の追求


を感じる。エステルハージ家という言わばクローズされた環境の中では、いつの間にか作曲の目的が、外面の効果よりも内面の追求に向かっていっても不思議ではないだろう。後期の有名な交響曲は、明らかに聴衆を意識しているためか、内面的な深みという点では一歩足らないような気がする。


山の中での武者修行


のようなイメージを僕は勝手に抱きながら、この時期の曲を楽しんでいる。


 交響曲第44番はハイドンの一連の短調交響曲の中で、もっともシンフォニックな曲である。ここでいうシンフォニックとは、オーケストレーションの響きの壮麗さや豪華さではない。曲の展開や流れのことである。


 特に1楽章のシンフォニックな展開は、聴いていて胸がすくようにすばらしい。主題は地味で、旋律らしい旋律はないのだが、曲の流れに勢いがあり、前にぐんぐん進んでいく感じがする。


ベートーヴェンがタイムスリップしたらこんな曲を作るのだろうか

 第3楽章は、ハイドンが自分の葬儀の時に演奏してほしいと頼んだ美しすぎるアダージョ。


人里から離れた野山にこんこんと湧く泉のような爽やかさがある


 また、全楽章にわたってホルンが柔和なアクセントを添えるのも印象的である。




posted by やっちゃばの士 at 19:45| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ハイドン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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