2008年07月30日

ラヴェル 『ボレロ』

 夏の燃えさかる太陽と青空を見上げながら、南国に思いをはせる。南国ではもっと生命力豊かに、健康に生きていけそうな気がするのだから不思議なものだ。

 目の前には青い海と、ちょっとかすんだ青空が見える。ちょっとした入道雲が見える。この雲が、もくもくと成長して雷雲になり、激しい稲妻とスコールの嵐になるんだな。まるで『ボレロ』そのものだ。僕は暑い夏の昼間には、昔から『ボレロ』を聴いてみたいみたいという気持ちになるのだが、潜在的にそんなことまで考えていたのかなと不思議に思ってしまった。

 南国スペイン風の主題が、色彩感豊かなオーケストラによって、何度も繰り返され、次第に大きくなっていく。この曲はラヴェルの代名詞のような位置にある。親しみやすいメロディと色彩感豊かなオーケストレーションはラヴェルの音楽の最大の特徴だが、この曲にはもうひとつの彼の音楽の特徴である「内省的で高雅な叙情性」は見られない。それでも、音楽は抜け殻になることなく、複雑な思いを込めなくても音楽は立派に成り立つという、当たり前といえば当たり前のことを教えてくれる。ロマン派、印象派音楽になじんでいた当時の人たちを音楽の原点に返らせる革命的な作品だったのではないだろうか。僕には、ラヴェルがそんな意図を持っていたに違いないと思えるのだが・・・。
ラヴェル:ボレロ、他ラヴェル:ボレロ、他
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[タイトル] ラヴェル:ボレロ、他
[アーティスト] クリュイタンス(アンドレ)
[レーベル] EMIミュージック・ジャパン
[種類] CD

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ラベル:クラシック
posted by やっちゃばの士 at 17:27| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ラヴェル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月14日

ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調

 世の中のほとんどの会社がお盆休みだが、やっちゃばの僕には休みはない。みんな休んでいる時に働くのは、子持ちサラリーマンとしては結構辛いものがある。今宵もどこかで花火大会が開催されているのだろうか。先日も、僕が帰路についたのは、花火も終わって観客がみんな立ち去ってしまって、かすかにお祭りの余韻が残る時間帯だった。

 ひとり静まりかえった街を走り抜けながら、ラヴェルのピアノ協奏曲の第2楽章アダージョを思った。「青白い情熱」とでもいった、諦念の中にも、何か熱い思いがこみ上げてきそうな音楽だ。曲はちょっとひなびていて、何か遺跡を見て昔を懐かしむような雰囲気がある。ブラームスの晩年の曲のように寂しさがひしひしと伝わってくるわけではないが、心の中を覗けば、紙一重なのかも知れない。ただ、世界観、音楽観の違いだろうか、曲と客観的に距離を置いて向き合うことができる点が違うような気がする。その詩情は青白く、音もなく輝く鬼火のようだ。手を近づけても熱くなく、触っても何も感じない。ただ、手を見るとやけどしているのに気づくのだ。

 「鬼火」という言葉を出したが、僕はこの作品の中に、「夏」を感じる。日本の夏と言えば、「花火」と「お盆」。「花火」の終わったあと、静まりかえった夜にひとり物思いにふける。少年時代の思い出、いろんな人たちとの懐かしい思い出、中間部のイングリッシュホルンの響きは、いつか自分が少年時代に吹いた草笛の音のようである。そうこうしている内に、意識は現在から離れていき、異次元の世界へと旅立とうとする。ピアノの分散和音の響きは、天から下りてくる御霊のようだ。懐かしい父母、祖父母、友人たちとの邂逅。
異次元の世界に吸い込まれそうになったところで、物思いにふけっていた自分の姿を発見する。生きていることはすばらしい。価値ある一時、一時を大事に生きなければ。

 第2楽章に較べて、第1楽章、第3楽章は、都市の喧噪、お祭りでおどける作曲者の気分のようである。ラヴェルの身なりは大変きちんとしていて、ダンディだったそうである。ただ、小柄なことに劣等感を持っていたようだ。音楽でもありのままの自分を表現することに抵抗を感じたのだろうか。この曲が作曲されたのは数多くの傑作を生み出した後の晩年であり、そういう意味でラヴェルの作曲の集大成であり、また彼の外面と内面が共存する点で非常に価値がある作品だと思う。
posted by やっちゃばの士 at 22:23| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ラヴェル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月23日

ラヴェル 左手のためのピアノ協奏曲

 夜が明けるのが早くなりました。空気もどことなく軟らかで早朝の散歩に出かけたくなります。

 春先の早朝は何か新しいことにチャレンジするのにはちょうどいい

と思います。マンネリを抜け出すのは今しかない。

 朝の音楽といえば、名曲がたくさんありますが、朝を新しい出発と掛けて、今日はラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲

 この曲のどこが朝なのかと思われるかも知れませんが、この曲の冒頭の雰囲気は夜明けをイメージさせてくれます。

低音で奏されるカオスのような音楽は日の出前の巨大なエネルギー
カオスの高まりの頂点で出る洗練された旋律は日の出のようです

ラヴェルの夜明けを描いた音楽としては

バレエ『ダフニスとクロエ』の夜明け

が有名ですが、この曲はそれ以上のエネルギーがあります。僕はこの曲に込められた作曲者の強い思いを感じます。

失意→再起→自由な創造性→感動

というストーリー性を描くことができるのではないかと考えています。この曲は第1次世界大戦で右手を失ったピアニスト、ヴィトゲンシュタインのために作曲されました。右手を失うことは、ピアニストにとって致命的なことです。傷ついた者へのラヴェルのやさしさがこの曲の根底にあるのではないでしょうか。

クープランの墓
無き王女のためのパヴァーヌ

のように、失われたものへの追憶とやさしさが込められた音楽はラヴェルの音楽の特徴であると言えるでしょう。

 この曲は単一楽章で、緩→急→緩の3部からなっています。この構成は傑作ピアノ協奏曲ト長調の構成と全く反対になっていることを考えると興味深いです。どちらもラヴェルの最高傑作だと思いますが、左手のための協奏曲の方が規模が小さいながら充実していると僕は思います。

第1部
右手を失ったピアニストの新たな出発。現実を受け入れて、前向きに出発。風はすがすがしく、生かされていることを思うと厳かな気持ちになる。それでも不安な思いをぬぐい去ることはできない。

第2部
不安を押しのけて自由な創造力を発揮する。第1部の厳かな音楽とは対照的なアクロバットを感じさせるジャズ風な音楽。前者がフィギュアスケートの基礎プログラムなら、後者はフリースタイルとでも言ったらいいでしょうか。そして、忘れてはならないのが、この小さな楽章の中で、ボレロのように多彩な楽器で同じ旋律を何度も反復させていることです。絶品という表現が適切でしょうか。ラヴェルの音楽の集大成を見るようです。

第3部
感動と追憶のフィナーレ。第1部と同じく厳かな雰囲気の音楽。最後は厳かなカデンツァで第2部の主題が回想的に演奏されるのが印象的。

posted by やっちゃばの士 at 18:06| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ラヴェル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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