2008年03月08日

ベルリオーズ交響曲「イタリアのハロルド」

 午後の暖かい日差しの中で、うとうとしながら、その心地よさに浸っていた。午後の間に仕上げなければならない仕事のことを考えるとそうのんびりともしていられないのだが、ついつい甘えてしまう。

 僕は、こんなときイタリアのハロルドの2楽章の旋律が浮かんでくる。もともと夕べの巡礼の歌を表現したものだが、僕には、現実から逃避した一時の甘い調べのように感じる。独身時代、僕は芸術さえあれば生きていける、お金などいらないと思っていた。今でこそビジネスマンのはしくれとして、感情を制御しながら日常生活を送っているが、その当時は、落ち込むとなかなか立ち直れず、ハロルドのような自虐的な曲にはまるのだった。

 ベルリオーズの代表作、幻想交響曲も青臭い青年の憧れと失望そして破滅といった同じようなストーリーだが、その麻薬度はハロルドのほうが上である。幻想交響曲がアヘンなら、ハロルドはマリファナだ。あのビオラの落ち着いた甘い調べの快感からは抜け出せない。ベルリオーズの麻薬音楽恐れるべし。




























































































































































































































































































































posted by やっちゃばの士 at 00:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ベルリオーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月29日

ベルリオーズ 劇的交響曲『ロメオとジュリエット』よりワルツ

 僕が住んでいるのは東京ディズニーランドがある浦安市で、毎日のようにディズニーランドの打ち上げ花火を見ることができる。真冬の凍り付いた寒い夜にも花火が上がるのだが、僕は真冬の空に花咲く花火を見るたびに、なぜ花火は夏の風物詩なのだろうかといつも考えてしまう。もちろん、夏に限定した方が、季節感を大切にする日本人にとっては、花火の付加価値が高まるような気がするのだが・・・。

 うだるような暑さだった先日、東京の夜空は花火で満たされた。僕は都内を品川からレインボーブリッジを渡って浦安へ抜けたのだが、都心では隅田川の花火が、浦安でも市民が待ちに待った花火が上がっていた。運河や河口は花火を楽しむ屋形船が所狭しと浮かんでいる。年に一回の花火を思う存分楽しもう。このたった数時間の時間を未来に何回体験することが出来るだろうか。どのような境遇で、誰と一緒に花火を楽しんでいるだろうか?

 今を一生懸命楽しもう。味わい尽くそう。この待ちに待った享楽の瞬間をどのように迎えようか。そんな気分にぴったりな曲が、ベルリオーズの劇的交響曲『ロメオとジュリエット』の舞踏会でのワルツ。このワルツは第二部『ロメオただ一人、憂鬱、音楽会と舞踏会、キャピュレット邸の饗宴』の中の一部分。物思いにふけるロメオは気晴らしに仮面をつけてキャピュレット家の舞踏会に忍び込みジュリエットに出会う。音楽の流れは、ちょっと憂鬱でためらいがちな思案から、ちょっとした希望をみつけた喜び、そして大音響の享楽の中での興奮へ。年頃の青年の心の動きがまことしやかに表現されている。

 ベルリオーズはワルツの傑作を複数残している。『舞踏への勧誘』、『幻想交響曲』の第2楽章など、この人のワルツの存在感はJ・シュトラウスとチャイコフスキーらと肩を並べてもいいのではないか。この2者とは全く趣を異にするベルリオーズのワルツの中でも、度派手な色彩感をもったオーケストレーションの『ロメオとジュリエット』のワルツは、グロテスクな音楽と紙一重の彼の音楽の特徴を最もよく表しているように思う。夏の夜空に、これでもかと連続して打ち上げられる花火を見あげながら、僕は眠くてしようがない子供たちのために帰路を急いだ。

ラベル:クラシック
posted by やっちゃばの士 at 15:32| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ベルリオーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月09日

ベルリオーズ 幻想交響曲

 ずいぶんと日が長くなりました。夕暮れ時、オレンジの光の中で、さわやかな風が若葉を揺らしています。運河は紫色に輝いています。

闇に包まれる前のこの時間をスケッチしよう

オレンジの光
西の空の薄い青
建物の深い影
闇の中を白くゆれる新緑
まぶしい街のライト

ベルリオーズの幻想交響曲のオーケストレーションは色彩的であると言われています。僕はこの季節のさわやかな夕暮れ時、いつも幻想交響曲1楽章冒頭の弱音器付きのヴァイオリンが弾く序奏を想います。
色彩的な音楽であるが故、5月の夕暮れ時の色彩感あふれる情緒と波長が合うのでしょう。
 
ベルリオーズの色彩感はストラヴィンスキーの色彩感と違って、極めて内面的です。

内面の色彩感、心の色彩感

この序奏の音楽ほど憧れと期待そして焦燥を心地よく表した音楽はないのではないでしょうか。

この内面的な色彩感

この交響曲が他の作曲家の標題音楽と一線を画するのはここにあると想います。逆の表現をすれば、色彩的な大オーケストラで内面を描いたのがベルリオーズです。


第1楽章「夢、情熱」
第2楽章「舞踏会」
第3楽章「野の風景」
第4楽章「断頭台への行進」
第5楽章「サバの夜の夢」


どの楽章も、独特の色彩的感をもっていますが、僕は憧れや期待が美しい音楽となって表れる第1楽章から第3楽章が特に気に入っています。有名な第4楽章、はちゃめちゃな第5楽章はちょっとグロテスクすぎて、ちょっと身を引いてしまいます。


甘い期待と一線を越えたときの厳しい現実


僕たちは、美しいものにあこがれる本性を持っています。ベルリオーズのように感受性が豊かであればあるほど、いろいろな妄想を浮かべるものです。特に美しい異性に対して、接近したい気持ちを抱くものです。

心臓がドキドキ。抑えきれない衝動。

ところが、非倫理的な立場で一線を越えてしまうと、後戻りできない厳しい現実の底に突き落とされることになります。幻想交響曲はまさにこのことを表しています。


想いは心のうちのとどめて昇華する


音楽をはじめとする芸術は、この昇華作用があります。つまり、芸術によって、僕たちは理性的な行動をとることができるのです。そういう意味で、

幻想交響曲は最も芸術的な作品

であり

芸術の中で一線を越えてしまうほど激しい情念が渦巻く作品
です。


つまるところは、激しい情念に襲われたとき

最後の最後に踏みとどまるための作品です。








 
posted by やっちゃばの士 at 23:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ベルリオーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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