2008年04月30日

ブルックナー ミサ曲へ短調

 今日は祝日。朝から家族で近所のちょっとした大きな公園に出かけた。いつの間にかつつじの花も満開になり、さわやかな風に揺れる新緑がとても気持ちよかった。4歳の長女は、つつじの蜜を吸ったり、たんぽぽを集めたり、緑の中がとても気に入ったらしく、夢中で自然と遊んでいた。帰ろうといっても聞きやしなかった。僕はその無邪気な姿にちょっと感動してしまった。「みどりご」という言葉が頭に浮かんだ。

 「みどりご」という言葉から、いろんな曲を思い出すのだが、新緑の成長、子供の成長など「成長」がかかわってくるとなると、僕はいつもブルックナーの作品を思う。同じブルックナーでも初期の作品に対してである。「もぎたて」、「フレッシュ」そんな言葉がブルックナーの初期の作品に対して似合うと僕ながらに思っている。本当にブルックナーの初期作品は愛おしいし、後期の作品よりも新鮮味を感じる。

 ブルックナーはミサ曲を3曲残しているが、3曲とも本当に傑作で、何度も繰り返して聴きたい曲である。オーケストラ伴奏つきの合唱曲で何度も繰り返して聴きたいという曲は僕の中にはあまりないので、そういった意味でもこの曲たちは特別である。「信仰」と「感謝」に加え「自然」と「成長」「素朴な情緒から心の高揚」まで本当に飽きない内容が織り込まれている。

 ミサ曲へ短調はブルックナーの3番目のミサ曲で、1番目のニ短調と比べると、ニ短調ミサ曲にあったゴツゴツした感じが少なくなっているが、オーケストラの扱いもより進歩しており、この分野のひとつの頂点に達しているのではないだろうか。第1曲「キリエ」からして本当に心が高揚していくのを感じるし、後の交響曲のように壮大な「グローリア」は小宇宙のようである。交響曲以前にこんなすごい曲を書くなんてブルックナーは天才だ。

 この曲のあと、ブルックナーは創作を交響曲に方向転換するのだが、たしかにこの優れたミサ曲を聴いていると、ブルックナーの心が分かるような気がする。この後、「テ・デウム」のような傑作も生まれるのだが、僕はこのミサ曲のほうがはるかに魅力的だと思っている。
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2008年05月07日

ブルックナー 交響曲第2番ハ短調

 曇天が続いた連休最後の日、青い空の下、5月のさわやかな風に揺れる木々の若葉が美しい。揺れる草、木、花の姿を見ているとブルックナーの交響曲第2番の第1楽章冒頭の弦のトレモロを思い出す。


 この曲はまだ風がちょっぴり冷たい初夏にぴったりな曲だと僕は思っている。ある著名なブルックナー研究者の先生が秋風を連想すると書いているのを読んだことがあるが、僕は秋とは感じない。

 この曲に僕が出会ったのは、大学1年生の5月のこと。希望を抱いていた大学生活の現実の姿に失望した僕は、ちょっとした五月病状態にあった。そんな時、僕はこの曲に出会い、その美しさと、ちょっとはにかみながらも希望を持って前へ進むような曲想に感動し、前向きに楽しもうと前へ進むことが出来たのだった。それまで、ブルックナーの交響曲はほとんど聴いていたが、こんな力を与えてくれたのはこの曲だけである。

 このような曲との出会いを無視しても、この曲は僕のブルックナーベストで何度でも聴きたい曲。全作曲家の交響曲の中で一番好きな曲はと問われれば、迷いなくこの曲を上げる。美しい旋律と素朴な自然の息吹、希望、そしてブルックナーの特徴が一番自然体に出ているように思う。歌の指揮者、カルロ・マリア・ジュリーニがブルックナーの交響曲で唯一この曲のみのレコーディングをしていることは興味深い。

 確かにこの曲は、ブルックナーの大曲の影に隠れて印象が薄いし、軽量級である。1楽章を聴いても、どこがクライマックスなのと疑問を持つ方も多いことだろう。「休止交響曲」と初演のとき不評を買ったのもうなずける。美しい旋律が登場したと思うと、盛り上がりそうで盛り上がらない「青年のはにかみ」のようである。それでも、主題の美しさは彼の交響曲中随一だと思うし、第2楽章などブルックナーアダージョのなかで一番美しいのではないか。また、短調なのに、不思議と短調と感じさせない曲想は神秘的である。これから、ブルックナーの季節が始まる。
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2008年07月24日

ブルックナー 交響曲第5番変ロ長調

 今朝家を出るとき、真っ黒に日焼けした坊主頭の高校球児に出会った。日頃から親しくしているお向かいさんの息子さんだ。もう高校野球の季節なんだな。真夏のぎらぎらした太陽の光を浴びながら、甲子園の外壁を勢いよく天へと駆け上がる蔦の生い茂った光景を思い出した。最後に甲子園に行ったのはもう20年前くらい前だろうか。ちょっとモノクロな光景や、蝉の鳴き声も聞こえてきそうである。思いはいつの間にか、僕の少年時代の夏の思い出の方に流れていった。甲子園の思い出も、山や海での楽しかった思い出も一緒に頭の中に浮かんでは消えていく。そして、また未来にそのような体験をしている自分の姿も浮かんでくるのである。一瞬の現在という時間の間に。

 ブルックナーの交響曲第5番は、ちょうど彼の9つの交響曲の真ん中に山脈のようにそびえる高峰である。4つのすべての楽章が充実していて、各楽章の関係も終楽章に向かって盛り上がるようにバランスが取れている。これに匹敵するのは第8交響曲だろうが、ブルックナーの交響曲全体を俯瞰したときに中央にそびえ立つということと、彼の40代から始まった20年ほどの交響曲の創作人生の中で気力体力ともに最も充実した成長期の頂点に作曲されたということで夏の青空にそびえる巨大なアルプスといえばやっぱり、第5である。ちなみに僕なりに企業の成長段階にブルックナーの交響曲を当てはめてみると、創業期(2番まで)、成長期(3〜6番)、成熟期(7〜9番)となる。

 ところで、ブルックナーの曲はなぜ同時代人に理解されなかったのだろうか。確かにそれまでの交響曲と較べると、長大で冗長に感じるかも知れない。長大なのになぜ単調にならないのか。実は僕が冒頭に夏の思い出をあげたのにも理由があるのだが、彼の楽想は時空を超越しているのである。空間という観点で言えば、アルプスの高峰を壮観していたかと思えば、次の瞬間には山辺に咲く野花が涼しい高原の夏風に揺れている光景が浮かんでいる。ズームイン、ズームアウト、空間移動、伸縮が自由自在。また、時間という観点では、今を楽しんでいると思えば、懐かしい思い出になったり、まだ見ぬ天界の姿を思い浮かべたりということで、過去、現在、未来の間を緩急自由自在に行き来するのである。ブルックナークレシェンドと共に気分が最高潮に達したかと思うと、世間に認められない独身男の悲哀感も伝わってくる。

 さて、ブルックナーの交響曲は標題音楽ではない。だから、風景や思いの世界で彼の音楽を語ることは適切ではないかもしれない。ただ、僕は夏になると第5交響曲が聴きたくなるし、第8交響曲のように心を構えずに自然な気持ちで聴けることは確かだ。そして、「今生きていることは何て楽しんだろう」と心から感じさせてくれるこの時間がとてもいとおしい。まるで短い「夏祭り」を惜しむかのように。


ラベル:クラシック
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2008年08月24日

ブルックナー 交響曲第6番イ長調

 ここのところ、ひんやりした日が続いている、8月15日を境にここまで劇的に気候が変わるのは不思議な感じがする。まるでお盆という暦に天候が意識的に呼応したように思えて仕方がないのである。ちなみに、やっちゃばではお盆休み開けから、りんごの「つがる」の新物が大量に入ってくるのが恒例だ。

 本格的な秋の来る前に、この季節の過渡期にブルックナーの第6交響曲を聴いてみたいと思った。この曲は、非常に不思議な曲だというのが素直な感想だ。もちろん、ブルックナーの特徴があますことなく表れた傑作なのだが、中期の交響曲群と後期の交響曲群の間にポツンと浮いたひとり小島のようなアイデンティティを持っているということで非常にユニークなのである。

 もうひとつの特徴は、コンパクトで、粋のいい曲だということ。曲をよく聴いていると、第1楽章など、第1交響曲の響きに似ているところがあるように思う。そういえば、第1交響曲はブルックナーが「ばか者のように作曲した」と語っているし、第6交響曲も「大胆なスタイルで作曲した」と彼自身語っていることから、思いつくままに一気に作曲できたのではないのだろうか。また、第1交響曲も、初期の作品とは言え、他の交響曲と作風が隔てられていて、ひとり小島のような立場にある。

 さて、僕は勝手にブルックナーの交響曲の成長過程を「人」から「地」そして「天」へ至るプロセスだと考えている。第6交響曲はちょうど中期の「地」の交響曲から、神々しい後期の「天」の交響曲へのステップのような位置づけにある。1楽章での上昇するような音楽は、まるで地から天へ駆け上がるようである。

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2008年09月11日

ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』

 ブルックナーの田園交響曲と聞いて、どの曲を思い浮かべるだろうか?通説では第6交響曲がブルックナーの田園と言われているようだが、そもそも田園とは何だろうか?人により田園のイメージはそれぞれだろう。ベートーヴェンの『田園』のように初夏の田舎をイメージするかも知れないし、ディーリアスの『春はじめての郭公を聞いて』のように初春ののどかな春の風景を思い浮かべるかもしれない。冬の寒々とした田んぼの風景こそ田園だという人もいるかも知れない。

 ブルクナーの交響曲は大地を想像させるところが大きいので、そういう意味では大半の曲を田園交響曲と呼んでみてもいいのかも知れないが、9月の青空と垂れてくる稲穂を見ていると、僕はこの『ロマンティック』が一番しっくり来るように思う。

 『ロマンティック』という言葉の意味は広い。ブルックナーのロマンティックは、ラフマニノフのロマンティックともシューマンのロマンティックともまるで異なる。僕は歴史と大地への郷愁と感謝のようなものがここでいうロマンティックではないかと思う。そして、その郷愁の思いも、叙情的というよりも叙事詩的な思いである。

 この曲は、非常にわかりやすく、平明なところがあるので、ブルックナーの交響曲としての知名度は群を抜いているのだが、ブルックナーファンの評価は相対的に低い。田園と農民と森の風景が全曲から感じ取ることができるのが特徴なのだが、このことはブルックナーの曲の特徴である時空の超越度が低いことを意味する。つまり、この曲は完全に地の交響曲なのだ。

 美しい秋の田園を旅する第1楽章、黒い森の中で思索にふける第2楽章、森の中を馬で疾走する第3楽章。大地の賛歌と熱い農民の思い
が巨大化する第4楽章。僕はこの第4楽章が大好きである。すさまじい金管楽器の咆哮は大地の地響きのようである。宮沢賢治の童話に『狼森と笊森、盗森』というのがあるのだが、ここでは森が人格を持っていて人間に接してくる。この森のように大地が人格を持ち、農民と作曲者とひとつの共同体となり、巨大化していくことによって生み出されるたくましい音楽は圧巻である。


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2009年05月06日

ブルックナー 交響曲第0番二短調

 5月の初め、新緑に激しく降り続ける雨。夜になっても激しく降り続く。夜散歩に出かけましたが、びしょびしょになりました。が、どんなに濡れても、どこまでも歩いていたいと思いました。


びしょびしょになりながらもしっかりと存在している


 ほの暗いブルックナーの交響曲第0番をのクレッシェンドの生命力をこのような時はいつも思い出します。この曲は、第1交響曲よりも後に作曲されたのにもかかわらず、0番という番号が付いています。作曲者自身が、この作品に対して自信を持てず、出版を引っ込めてしまったからです。

第1主題は一体どこにあるのかね?

この曲の初演の指揮者オットー・デッソフのこの一言はブルックナーに立ち上がれないような打撃を与えたのではないでしょうか。

この曲の第1楽章は確かに

@主題の輪郭がはっきりしていない。地味
Aどこがクライマックスなのかよくわからない
B優柔不断な流れ
Cほの暗いトーン


とさえないイメージを与えます。

それでもよく聞いてみると

@ブルックナーの特徴が詰まっている
Aときおりみせる美しい小鳥のさえずり
B成長力に満ちた音楽


さらに、第2楽章は美しいアダージョ、ミサ曲第1番のベネディクトゥスの美しい旋律が主題に使われています。


つまり、この地味な第0番二短調はブルックナー自身が「ばかもののように作曲した」と呼んだ交響曲第1番ハ短調よりも、ブルックナーの特徴と魅力が表れた傑作なのです。このことは、逆に交響曲第1番では、まだブルックナーの交響曲のスタイルが確立していないことを意味します。


交響曲第0番こそ真のブルックナーの交響曲第1番である


ブルックナーの交響曲作曲の軌跡をちょっとたどってみたいと思います。

1863年 交響曲へ短調(ブルックナーの特徴が乏しい習作)
1864年 ミサ曲ニ短調
1866年 交響曲第1番ハ短調
1866年 ミサ曲ホ短調
1867年 ミサ曲ヘ短調
1869年 交響曲第0番ニ短調

0番以降ブルックナーは立て続けに、交響曲を作曲していきます。逆にミサ曲はこの後一度も作曲していません。上記の1864年から1867年の間に集中して作曲しているのみです。これらミサ曲の作曲はブルックナーにとってとても重要な意味を持つのではないかと僕は考えています。彼は、ミサ曲で生涯初めての大成功を収めます。ここで、作曲のスタイルをつかんだのか、その後0番から3番までの交響曲には、ミサ曲のエコーがはっきりと響いています。


マーラーの初期の交響曲が角笛交響曲

ならば

ブルックナーの初期の交響曲はミサ曲交響曲

と呼んでもいいのではないか。ブルックナーの交響曲を考える上で、ミサ曲の存在は無視できない存在だと思います。僕はひとつの仮説を立ててみたいです。


0番以降の交響曲はミサ曲の延長線上にある
0番の第1楽章は「合唱のないミサ曲である」





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2009年11月15日

ブルックナー 交響曲第7番ホ長調

黄昏の交響曲

僕はブルックナーの第7交響曲を聴くと、黄昏のオレンジ色のまぶしい光に包まれた感じを抱く。


まばゆく暖かい光


この曲の第1楽章はブルックナーの交響曲の中で、他にはない特徴を持っている。それは第1楽章の速度である。作曲家の指定は


アレグロ・モデラート(程よい速さ)


だが、実際にはもっとゆったりと聴こえる。ゆるやかな水の流れのように音楽が流れていく。


ゆったりと流れる第1主題と第2主題
アクセントを効かせる英雄的な第3主題




 ブルックナーの交響曲は、この第7交響曲をもって、新しい境地、次元に入る。それまでの曲に顔を出していた自然を連想させる音楽は少なくなる。ブルックナーの交響曲を僕は次のように分類している。


0〜1番 教会のステンドグラス
2番   教会の中から自然界へ
3〜5番 自然、地、現在形の交響曲
6番   自然から天へ
7〜9番 超自然、天、過去と未来の交響曲



ブルックナーの視点は、だんだん遠くのものを見つめるようになって行く。






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2009年11月20日

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調

 紅葉と青い湖面。朝日を浴びて湖面からはまばゆい光と湯気が立っている。空気はどこまでも冷たく、晩秋の足取りは日に日に早くなっていく。


ブルックナーの交響曲第8番


 晩秋になると、僕はこの曲を聴きたくなる。どの楽章も、おそろしく充実していて、この曲と向かい合うためにはちょっとした気構えが必要だ。

特にこれ以上はないだろうというのが

第3楽章アダージョ
第4楽章フィナーレ


アダージョの美しさは、まるで湖面に映った錦秋のようだ。その情緒は同じく有名な第7交響曲のアダージョとはまったく異なる。ローエングリンの第1幕への前奏曲に近い世界があると思う。

フィナーレは晩秋の行進のようだ。晩秋というのは一気に年末に向けて進んでいくもっとも時間が過ぎて行くのが早い季節だ。また、この時期は文化祭などが多いのだが、1年の総決算の成果を発揮するのがこの季節だ。総決算をしてから翌年あるいは冬の準備に入るというふうにとらえることもできる。この楽章は、この作曲家の総決算とでも呼ぶべき価値を持っている。


高みに向かって突き進むエネルギー


暮れの銀杏並木の間を、漠然とした理想に向かって突き進む。それは見えそうで見えないもの。たぶん、見えていたら、ここまで音楽を美しく感じることはできないであろう。見えたら、そこで上昇は止まってしまうのだから。




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2010年02月22日

ブルックナー 交響曲第9番ニ短調

 寒い日が続いているが、陽は明らかに長くなっている。それでも夕焼けの光は冷たく、まだ春が遠いなあと感じてしまう。こんなときに聴いてみたいと思うのが

ブルックナーの第九

である。ブルックナーの後期の3大交響曲は、どの曲も神々しく、気楽に聴いてみようなどという気持ちにはなれないのだが、その中でも、もっとも近づきがたいのが第9交響曲である。ブルックナーの第9に抱くイメージはどんなものがあるだろうか。

この世とは思えない響き
宇宙の振動
巨大
宗教的
混沌からの生成
神秘的
彼岸の音楽
白鳥の歌
ベートーヴェンの第9への類似性


などなどとても多くの言葉が思い出されるほど、この曲の与えるインパクトは大きい。

 さて、この交響曲は第3楽章まで作曲されたところで、作曲者が亡くなってしまったため未完成のままである。作曲者が第4楽章を作曲しようとしていたことは明らかであるため、数多くのブルックナーファンにとって、「この幻の楽章をブルックナーはどのような音楽にしようとしていたのか」ということはとても気になるところである。

 僕は音楽の流れにストーリーをつけると、第4楽章はなくてもいいと思っている。勝手なストーリーだが、


第1楽章 この世への惜別の歌
ブルックナーはこの曲の冒頭から神に対峙している。僕はこの楽章冒頭の宇宙の創造の始まりのような混沌とした音楽を聴くと、キルケゴールの宗教的実存という言葉がいつも浮かんでくる。この楽章の大きな特徴は

器楽的な音楽の大伽藍の中で、滔々と流れる演歌

ところだと思う。この曲が巨大ながらも親しみやすさをもっている原因はここにあると思う。


第2楽章 神秘的な天上と最後の審判
ブルックナーのスケルツオ楽章で、唯一土臭さがないのが何といっても特徴だと思う。

第3楽章 彼岸での白鳥の歌
上記以外に思いつく言葉がない。まさにブルックナーが譜面に「愛する神に」と書いたままの音楽である。悲しみより、感謝の思いの方が伝わってくる。

ところで、ブルックナーの交響曲は他の作曲家の交響曲と比べてとても季節感があると個人的に思っている。

9月 交響曲第7番
11月 交響曲第8番
1月 交響曲第9番


ということで近々3番と1番を取り上げようと思っている。







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2010年03月02日

ブルックナー 交響曲第3番ニ短調

 春先の冷たい空気の中にあって、田んぼの草の種も街路の木々の芽もまだひっそりと暗闇の中で息をひそめている。ものすごい生命力に満ちたエネルギーを宿しながら。

 
ブルックナーの交響曲の中で最もエネルギーに満ち溢れた交響曲として


交響曲第3番ニ短調


を僕は真っ先にあげたい。ワーグナーに献呈されたため、『ワーグナー』というニックネームがついたこの曲は、紛れもないブルックナー最初の大交響曲である。


もっともワイルド(野性的)な交響曲
金箔で飾り立てられたような神々しさ
ブルックナーらしさが一番感じられる作品

などの形容を僕は冠したい。清純な抒情と巨人的な主題とリズム、咆哮する金管楽器のユニゾン、陽気な田舎人の踊り、そしてこれだけ巨人的な音楽でありながら、自信がなさそうにときおりためらうその進行は、ブルックナー要素に満ち満ちている。


 ブルックナーにとってニ短調は特別な意味を持つ。ニ短調はベートーヴェンの第9と同じ調性であり、曲の流れも第9と同じ悲劇から勝利へだ。この交響曲は哀愁に満ちたトランペットの主題で始まり、最終楽章では、第1楽章、第2楽章、第3楽章の断片が姿を表し、輝かしすぎるコラールで曲を結ぶ。

 また、ニ短調はブルックナーがもっとも気に入った調性だった。ニ短調の作品には


ミサ曲第1番ニ短調
交響曲第0番ニ短調
交響曲第9番ニ短調


と大作が4曲もある。ミサ曲ニ短調はブルックナーの人生最初の成功作品であるため、この調性に対して大いなる自信を持っていたに違いない。実際に、この交響曲第3番ではミサ曲ニ短調のエコーを聴くことができる。

 輝かしい勝利のミサ曲ニ短調の直系であるこの自信作は、初演当時全く不評だった。なぜ不評なのかブルックナーは悩んだに違いない。彼は何度もこの作品の改訂を手掛けている。その結果、初稿と最終稿の音楽はかなり異なるものになってしまった。現在普通に演奏されるのは最終稿である。

 僕がこの交響曲を初めて聴いたのは、インバルの初稿版のCDを買った高校生の時だった。当時インバルのブルックナー全集の録音が進行中で、僕のブルックナー入門はインバルから始まったのだった。何度も繰り返して聴いた初稿の音楽は僕の心には焼き付いてしまっており、その後最終稿の名盤をいくつも聴いてみたが、この初稿の魅力には及ばない。初稿は最終稿に比べて荒削りだが、晩年のブルックナーにはない上記に形容したブルックナーの新鮮な魅力が詰まっている。


冬の大地に打ちたてた金字塔




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