2008年03月03日

シューベルト交響曲9番「グレート」

 シューベルトに対する一般の人々のイメージは、親しみやすい歌曲や室内楽など、どちらかというと小品の作曲家というイメージがあるのではないだろうか。

 もちろん、シューベルトファンの中にも、愛するべき旋律が一番の魅力と感じている人も多いと思うが、美しいメロディーが果てしなく続いていくその巨大さに虜になった人は、もっとシューベルトの音楽を愛するだろう。

 僕は、シューベルトの音楽を聴いていると、さすらい人の姿がいつも浮かぶ。この明るく堂々とした曲についてもそうだ。第2楽章など山野に咲く野花のそばを旅する若者の姿を連想してしまう。

 若者の理想、憧れ。完成された芸術、アポロン的なものへの憧れ。全曲を通じて、彼の長大な曲にはめずらしく、暗い影を感じさせるところがない。

 ぽかぽかとしてくる春の陽気の中、僕は期待に胸を膨らませるときこの曲を口ずさみながら歩きたくなるのだ。


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2008年04月09日

シューベルト 幻想曲へ短調

 激しい雨と突風の吹き荒れる1日だった。まさに、「春の嵐」というべきだろう。夜になって小降りになったが、僕は今日も妻のために、重要な予定をキャンセルして帰途に着いた。心残りを引きずりながらも、今は家庭が大切だと自分に言い聞かせた。

 「春の嵐」といえばヘッセの小説を思い出す。高校生の頃ヘッセの作品を手当たり次第に読んだものだ。障害を負った音楽家の恋の断念と真の生きがいを探し求める姿を描いたまさに青春小説である。悩み多き当時の僕は、この主人公に自分の姿を投影して心が震えたのを思い出す。

 「春の嵐」を思うとき、僕はシューベルトのピアノ連弾曲の幻想曲の冒頭の、降りかかってくる困難にひたすら耐えていくような感じの主題を思い描いてしまう。それにしても、ヘッセの青春文学にはシューベルトの音楽がぴったりとくるのはなぜだろうか。シューベルトもヘッセの主人公と同じような重荷を抱えていたのではないだろうか。その重荷を越えさせてくれたのが音楽であり自然ではなかったか。永遠の青年作曲家シューベルトと同じように、僕たちも失恋や失敗などの重荷を美しい音楽と自然にかかわることによって昇華している。美しい音楽とはシューベルトの音楽、そう、彼の音楽はまさに癒しの音楽なのだ。
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ヘッセの水彩画

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2008年09月25日

シューベルト交響曲第8番ロ短調『未完成』

 緑道を歩いていてふと、蝉の鳴き声がしなくなっていることに気づいた。いつだって季節は僕の知らないところで動いていて、季節の移り変わりの瞬間を見つけることは難しい。

 先日僕はあるセミナーに参加したが、誰も顔見知りがおらず、これといってアピールする内容もないので、ちょっと有名な2名の方にのみ名刺を渡し会場を去ったのであった。僕はビジネスで成功しているわけでもなく、売れっ子ブロガーでもない。消えたところで、最初から存在しなかったのと同じで、誰も気づかない存在。この時は完全なネクラモードになってしまった。

 根暗な時は思いっきり根暗に浸ってみたい。そんな時はシューベルトの音楽かブラームスの音楽に尽きる。ただ、ブラームスは社会的には大きく成功した音楽家なのでこういうシチュエーションには合わない。美しい音楽を何曲も作曲しながらも、生前正当に評価されなかったシューベルトの音楽の方がしっくりくる。

 久々に『未完成』を聴いてみた。この曲をはじめて聴いた人は、美しさよりも暗さの方を強烈に感じるのではないだろうか。『鱒』などの明るい有名な曲しか知らなかった中学生の僕が最初に聴いた時はショックだった。その後、室内楽やピアノ曲、歌曲等を聴いていったが、シューベルトの音楽の特徴はずばりネクラである。美しい叙情性と若さを持ったネクラ。高校生の頃、ネクラだった僕はシューベルトの音楽を口ずさみながら、立原道造の詩集を持って野山によく出かけたものである。
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 さて、この曲はなぜ『未完成』なのか。この話題は結構有名でいろんな説があるが、作曲者が生きていないので100%の真実を明らかにするのは不可能である。シューベルトの音楽に流れる時間はブルックナーとよく似ていると言われるのだが、僕はブルックナーの後期の交響曲にヒントがあるような気がする。
 
 ブルックナー後期3曲はいずれも長大で、超自然的な曲想が大きな特徴だが、第2楽章と第3楽章の順番に注目したい。スケルツオ楽章は第3楽章に必要なのだろうか、第7は3楽章にスケルツオ楽章を持ってくることによって尻つぼみになってしまった。だから、第8、第9では第2楽章に持ってきた。ベートーヴェンの第9もラフマニノフの第2も同じ。ブラームスもスケルツオ楽章を間奏曲仕立てにすることによって曲の流れが変わることを避けている。これらのことは、つまりロマン派の音楽では必ずしもメヌエットやスケルツオなどの舞曲楽章は必要がないことを表している。『未完成』に舞曲は必要なかったのだろう。舞曲で行き詰まって、フィナーレも作曲されなかった。すごい暴論なってしまったが、これが僕の見解。まあ、未完成の理由はともかく、未完成であることがこの曲の価値を高めていることだけは確かである。
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2009年01月23日

シューベルト ピアノソナタ第14番イ短調

 シューベルトのピアノソナタの魅力は、幻想曲のような叙情性にあります。叙情性とゆったりとした大きな構成。そして、永遠のさすらう若者の憧れと情熱、失意の入り混じったその音楽は、心を透明にしてくれます。

 どのソナタもすばらしいのですが、特に印象が強く、作曲者の思いが強烈に伝わってくる1曲について。

ピアノソナタ第14番

 暗く不気味なつぶやきのような主題で始まります。つぶやきは、かなしみに発展し、力強く疾走します。この異常に暗い始まりは、まるで

モーツァルトのハ短調幻想曲
http://yachaba.seesaa.net/article/93157569.html
ブラームスの晩年の小品
http://yachaba.seesaa.net/article/106025020.html

のようです。モーツァルトは異次元空間に入っていくのですが、ブラームスは感極まりながらも停滞します。シューベルトはどちらかというとブラームス。第2主題は慰めるような優しい音楽ですが、どこか諦念めいたものを感じます。上昇しようとするが、現実に引き戻される。シューベルトはどういう境地だったのでしょうか。

 このソナタが作曲されたのは1823年。前ソナタとの間に実に4年のブランクがあります。このソナタを持って、ピアノソナタの新境地を開いたと言われていますが、次の作品は1925年。つまり、ぽつんとこの曲だけがブランクの真ん中で作曲されたことになります。

 このような背景を考えると、何か非常に深刻な強いメッセージがこの曲に込められているように思います。


 重い運命を受け止めて再出発するような時の気持ち。

重い病気か
失恋か
それとも音楽に関する何かか

 運命の宣告を受けて、諦念を感じながらも前向きに生きていこうとする作曲家の姿を見ることができます。

第2楽章アンダンテ 沈んだ抒情から高貴な羽ばたきへ
シューベルトのピアノソナタの緩徐楽章の中でもとびきり美しい音楽。

第3楽章アレグロ  木枯らしのような音楽
シューベルトの心は未解決のまま。彼はこのソナタで何をつかもうとしたのでしょうか。



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2009年02月20日

シューベルト弦楽四重奏曲第14番二短調『死と乙女』

 今日は冷たい雨が朝から降り続いています。この時期の雨は、春を予感させるところがあって僕は好きです。

 それでも、日本海側では大雪だそうです。まだまだ春を感じるには早いかもしれませんね。ということで


冷たい雨の音楽雨


を考えてみたいと思います。


雨の音楽と言えば


よく知られたものでは

ブラームスのヴァイオリンソナタ『雨の歌』
ショパンのピアノ曲プレリュード『雨だれ』



僕の独断では

ブラームスのチェロソナタ第1番
ブラームスのピアノ四重奏曲第1番
ヴィラ・ロボスのブラジル風バッハ第3番


などがありますが、

冷たい雨には

シューベルトの弦楽四重奏曲の『ロザムンデ』と『死と乙女』

を聴いてみたくなります。


『ロザムンデ』の1楽章は、まるで
しとしとと冷たい雨が降り続いているかのようです。


『死と乙女』の第1楽章は、
激しい雨に打たれているような情緒があります。

この2曲は続けて作曲されたもので、ほの暗い情緒を持つ点や、第2楽章に自作の歌曲の旋律を引用している点で、曲想が非常に似通っています。

この曲想にぴったりくるのはやはり

冷たい雨

だと思います。


ところで、シューベルトの音楽を聴いていていつも思うのですが、彼の曲は、歌心に満ちていて、美しいのですが、どこか悲しいのです。


春が来そうで来ない音楽

「春は来ているのだが、自分の心に春が訪れない」そんな思いが、よりいっそう春の音楽を美しくしているように思います。






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2009年03月12日

シューベルト ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調

 青い空と柔らかい光。でも風は冷たい。風に揺れる運河の波のきらめきが美しい。

 胸がワクワクし、思わず春の野を歩き回りたい気分になります。こんな時にはシューベルトの明るい曲がぴったりときます。

ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調
 あのベートーヴェンの『大公』トリオと同じ調性のこの曲は、晩年(といっても30歳)のシューベルトの曲の特徴である深遠の淵を覗き込むような暗さや深刻さがない点で、『グレイト』交響曲と並ぶ、

春の野にふさわしいワクワクした気持ちにさせる傑作

だと思います。特に第1楽章の明るい主題と、それに伴奏する小刻みな八分音符の動きが、散策する雰囲気を作り出しているのが印象的です。

足の短い作曲者が春の野を散策しているよう

この散策音型はシューベルト独特のもので、

歌曲『美しい水車小屋の娘』
ピアノソナタ第21番
『グレイト』交響曲


など明るい曲に見られます。あるときはピアノで、あるときは弦楽器で、本当にみずみずしいです。


 第2楽章以降も、音楽は深刻になることなく進みます。第2楽章のアダージョは

春の夕べをいつまでも楽しんでいたい

という雰囲気の余韻に満ちた大変美しい音楽です。段々日が長くなっていくのを感じるこの時期。夕暮れ前の青い空気に感動するのは僕だけでしょうか。


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2009年04月15日

シューベルト 弦楽五重奏曲ハ長調

 もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし
(前大僧正行尊 百人一首)

 グレイト交響曲、3曲のピアノソナタ、歌曲集『白鳥の歌』と並んで、シューベルトの生前には演奏されることはなかった大作が

弦楽5重奏曲ハ長調

です。この曲の初演は、シューベルトの死後22年経った1850年。人が立ち入ることのない山里の桜のように、その美しい姿を認識されることを待っていたのでした。

 シューベルト最晩年の作品に見られる天国的な長大さと美しさに満ちています。僕はこの曲を聴いていると、

どこまでも白くかすんだ果てしのない春の夢

を見ているような気持ちになります。「白昼夢」という言葉がありますが、まさにそんな感覚です。弦楽四重奏曲のところでも書きましたが、春が来そうで来ないシューベルトの心の中に、巨大に膨らんだ春の夢がいっぱい詰っています。

それにしてもこの巨大な作品はなぜ日が当たらなかったのか

 シューベルトの晩年の巨大な作品を発見して、絶賛したのがロベルト・シューマンでした。僕の推測ですが、シューマンは彼が目指していた音楽のひとつの理想をシューベルトの美しく長大な作品に見つけたのではないかと思うのです。シューマンの交響曲や室内楽を聴くたびに、この人はもっと長大な曲が書きたかったのではないかと思わされます。

 現代は情報が簡単に手に入る時代です。優れたものがあれば、あっという間に知れ渡ります。シューベルトの時代においては、それがかなわなかったわけですが、ひょっとしたら現代においても本当に価値のある優れたものが日の目を見ないで、ひっそりと美しく咲いているかもしれない。美しい音楽を聴きながら、そんなことを思ってみたりするものです。

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2009年04月27日

シューベルト 劇音楽『キプロス島の女王ロザムンデ』

 桜の木のトンネルをくぐると、若葉の香りがとても気持ちいいです。若葉の香りに誘われて、ちいさな生き物たちが活動を始めるようになりました。

抒情的な物語の音楽


この季節になると、なぜだか胸がわくわくして、次のようなキーワードが心に浮かんできます。

「若葉」
「みどり」
「霧」
「林」
「青い水」
「夜」
「ランプ」
「妖精」
「女王」


よくよく考えると、これらのキーワードが登場するのはメルヘンティックな物語にぴったりです。この季節に聴きたくなる曲として

モーツァルト  歌劇『魔笛』
シューベルト  劇音楽『キプロス島の女王ロザムンデ』
メンデルスゾーン劇音楽『真夏の夜の夢』


タイトルからして、とても惹きつけるものをもっています。なぜだかわかりませんが、僕は昔からこの3曲が持つ澄んだ抒情は特別なものがあると思っています。そういえば、この3曲は音楽史的には

ロマン派初期(萌芽期)の作品

です。

ロマン派初期と初夏の共通キーワード「さわやかさ」が僕の頭の中で、この両者を結び付けるのかもしれません。


さて、『キプロス島の女王ロザムンデ』は、ネームバリューでは他の2曲に劣りますが、美しさと親しみやすいメロディと力強さは3曲の中では随一です。つまり、シューベルトの音楽の特徴がそのままストレートに表れているのが『ロザムンデ』なのです

『魔笛』と『真夏の夜の夢』は音楽と劇ともに上演されますが、『ロザムンデ』の劇は全く上演されないばかりか、歴史的に忘れ去られた存在です。つまり、音楽だけが現在に残っているのです。僕は、劇の内容など何でもいいと思っています。

ただ美しい音楽だけあればいい


全曲どこをとっても美しいが、強いて言えば、前半の方が、力強さもあってシューベルトのオーケストラ曲の醍醐味を味わえると思います。

序曲 明るくて堂々としたシューベルトの魅力満点。実はこの序曲は他曲からの転用ですが、そんなことはどうでもいいと思わせるくらいよくできていると思います。

間奏曲第1番 序曲同様力強さと細やかな情緒に満ちています。間奏曲にしてはシンフォニックで重厚です。

間奏曲第2番 暗くちょっと不気味。シューベルトのデモーニッシュ的な一面。劇のため後期の曲のように深淵には入らないので、さわやかさを感じてしまいます。

間奏曲第3番 有名なロザムンデの旋律。どこまでもこの美しい歌を聴いていたいです。



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2009年06月18日

シューベルト 交響曲第4番ハ短調『悲劇的』

 よく言われることですが、ベートーヴェン以降の作曲家たちは、ベートーヴェンの交響曲をいかに超えるかという意識を持って交響曲の作曲に取り組みました。ベートーヴェンなど意識せずに「自分らしさ」を出せばいいのではないか、現代に生きる僕はそんなことを考えたり見たりするものですが、作曲家というのは、

音楽を作って、再現してもらう(自分でする)

という立場です。したがって、自分一人が聞いて満足する音楽を作るのではなく、公衆に満足してもらうという要素がどうしても必要になってきます。

作曲家とその作品は公的な存在になる宿命がある

ということになるでしょうか。ピアノ曲なら自分一人の世界で完結するかもしれませんが、ましてやオーケストラを必要とする交響曲です。交響曲を作曲するに際して、ベートーヴェンの交響曲と向き合うことを避けることができなかったのは仕方がないことだと思います。

シューベルトの第4交響曲は、19歳の時の作品です。短調の交響曲はこの曲が初めてで、作曲家自ら『悲劇的』というタイトルをつけました。この短調(ハ短調)とタイトルに僕は並々ならぬシューベルトの気合いを感じます。まさにこの作品は

ベートーヴェンのハ短調交響曲(第5番)に正面から向かった作品
以外の何物でもありません。そして同時にシューベルトの個性がいかんなく発揮された傑作です。

小さな巨人

とでも言ったらいいようなシューベルトの音楽の特徴がいっぱい詰まっています。ハイドン、モーツァルトそしてベートーヴェンとも違うまぎれもないシューベルトの音楽がそこにあります。

第1楽章の青春の悲しみに満ちた序奏。激しい雨に打たれながらも、遠くに晴れの空が見えるような安心感があります。抒情的な第1主題が巨人的に展開されたかと思うと、再び優しくなって柔和な第2主題に入ります。僕は、この起伏にとんだ美しい音楽が

流れるように展開していく

ところにシューベルトのすごさを感じます。シューベルトは短調の交響曲を2曲しか残しませんでした。

『悲劇的』
『未完成』


の2曲です。僕は若々しいエネルギーに満ちた『悲劇的』の方が好きです。梅雨のこの時期、何度も繰り返して聴きたくなる名曲です













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2010年01月31日

シューベルト ピアノソナタ第21番変ロ長調

 以前、「陽だまりの音楽」ということで、

ブラームスのピアノ四重奏曲第2番

をあげたことがある。寒い冬の日の陽だまりのような音楽と言えば

ブラームスとシューベルト

だろう。ちなみに、ブラームスのこの四重奏曲はシューベルトの書法の影響を受けている。

さて、シューベルトのピアノソナタ第21番。

シューベルト最後のピアノソナタ
生前発表されることはなかった遺作
天国的な長さと美しい歌
シューベルトの個性が花開いた傑作


などなど彼のピアノソナタの中では最も有名な作品だ。僕は19番、20番あるいはそれ以前のソナタの方が好きだが、やはり冬の晴れた日にはこの曲がもっともぴったりとくる。


第1楽章  ある冬の晴れた日。午前中の野山に青空が映える。聴こえてくる音楽は永遠のさすらい人シューベルトの美しくのどかな歌。

時折聴こえてくる低音のトリルは雷鳴のようだ

このトリルについて、おそらく誰もが運命的なものを感じるに違いない。この曲を作曲して間もなくシューベルトは亡くなったのだから。

展開部のシンコペーションはさすらい人の足取りのようだ

第2楽章 午後になって寒い風が身にしみる。なぜか心が悲しみの方向に流れていく。あの温かい晴れ間はもうないのだろうか。ひょっとするとこれは夢かもしれない。

第3楽章、第4楽章  美しい歌が続いていく

来るかもしれない春を夢見ながら


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