2008年02月22日

ブラームス「ピアノ3重奏曲第1番変ロ長調」

今日は暖かい春を感じさせてくれる1日だった。
 運河から流れてくる、砂利船のポンポンポンポンという音がいっそうのどかな雰囲気を強めている。運河沿いの歩道の街路樹の芽吹きが感じられ、きらきらと光る海面はやさしい。
 「春きたるかな」胸の高まりと憂鬱の交じり合った思いを僕はいつまで続ければいいのだろうか。今の僕には、愛する家族がおり、青年時代と同じ渇望感はない。
 僕の心は緊張している。期待と不安、完璧なる物、永遠なる物への憧れ。言葉では表現できないが、ブラームスのこの曲想がぴったりとする。完全なる物への憧れと未熟な自分への焦燥感。この思いが全曲を貫いているが決して暗くない。第1楽章第1主題をはじめとする「瑞々しい旋律」が胸のうちの激しく燃える焦燥感を、若々しさに昇華させている。
 僕は36歳になったばかりだ。ロマン派の全盛期を過ぎた頃に、古典主義を持って登場したブラームス。「遅れてきた青年ブラームス」その胸のうちは誰よりも熱かったはずだ。僕も、世の中の時流から大きく遅れてしまった感があるが、誰よりも熱い心でこれからの人生を切り開いていきたい。

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2008年05月13日

ブラームス バラード第1番「エドワード」

 5月も10日を過ぎたというのに、今日は肌寒い1日だった。黒雲が空を猛スピードで流れていくのが印象的だった。風に揺れるのは紛れもない新緑で、黒雲とつめたい風と新緑に僕は独特の緊張感を感じた。

 ブラームスのバラード4曲は作品10と若い時代の作品だが、青年ブラームスの憧れと苦悩が、ブラームス独特の語法で表現されたピアノ曲の最初の傑作である。彼は、3曲のピアノソナタをこの曲以前に作曲しており、それらももちろん傑作だが、同じ初期の作品でもピアノソナタとバラードの間には隔たりがあるように感じる。作曲技法もそうだが、何か心境の変化のようなものを感じる。

 第1番のバラードには「エドワード」という標題がついている。「エドワード」とはドイツの詩人ヘルダーの編纂した英国の詩で、父親殺しの物語が綴られている。この第1曲のみにこのような深刻な内容の標題がついていることに、この曲に対するブラームスの並々ならぬ思いを感じる。著名な音楽評論家の吉田秀和氏によると、シューマンの死に対する自責の念をこの曲で表しているということだが、僕もそう思う。

 曲は冒頭の単純な動機が、変容しながら何度も繰り返されるつくりとなっており、本当にブラームス的である。暗く重い嘆きのような提示部。中間部で、明るくなり、前向きに力強く前進すると思いきや、自責の念に打ち勝つことが出来ず、短調に支配されてしまう。まるで自滅するかのように。ブラームスの曲は、本当に、美しい主題が明るく羽ばたこうかとしながらも、途中から短調に変化してしまう、まるで自滅していくようなパターンが多いのだが、この曲などまさにその代表である。ただ、若い時代の作品であるがゆえに、青年の痛々しい感傷にとどまっており、後期のような救いようのない嘆きではないので聴いててカタルシスのような気持ちよさを感じてしまう。

 青年時代。本当にブラームス一色だった。ブラームスの音楽と気持ちに同化していたものだが、今は必ずしもそうではない。ただ、彼の若い時代の曲は今聴いても本当に若い血が騒いで僕は大好きである。
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2008年05月19日

ブラームス セレナード第1番

 土曜日の夜、僕は用事があったので、都心部を抜けて帰宅することにした。いつも思うのだが、品川までくると街の雰囲気ががらりと変わる。日比谷通りへ入ると、増上寺、日比谷公園と緑の多いところを通るのだが、街の照明を受けながらも、鬱蒼とした木々はどこか涼しげで、歩いている人たちも楽しそうに見えた。都会の森の中には、多くの恋人たちの姿もあることだろう。さわやかな夜の曲。ブラームスのセレナードをかけてみた。

 「セレナード」とはもともと「夜の音楽」を表す。シューベルトのセレナードなどまさにこれにあたる、ブラームスのものは「夜の音楽」とは関係ないのだが、新緑に誘われて、さわやかな若々しい曲想がマッチすると思ったから。

 この作品の作品番号は11で、先回僕が書いた「バラード」が作品10である。先回の暗く思いを引きずるような曲想とは、がらりと変化しているのが、ブラームスの内外の心境の変化を表しているようで興味深い。、。もちろん、一時的なものに過ぎないのだが、当時彼はデトモルトの宮廷音楽家として幸福な時期を過ごしており、美しい音楽への憧れがこのような作品を生み出すのは自然だろう。

 曲は6楽章からなり、交響曲のような全楽章が動機によって統一されているといったような有機的なつながりがあるわけではないが、本当にどの楽章も青年の憧れと感傷を表しており、特に前半3楽章は「ブラームス独特の落としどころ」をもった傑作である。この曲はブラームス最初のオーケストラ曲だが、すでにブラームスサウンドが出来上がっている。やはり彼は完成されて世に出た天才肌の作曲家なのだ。

 さて、この曲はブラームス独特のひとつの主題動機を展開していくタイプの曲ではないのだが、ブラームスはこのようなタイプの曲でも、美しい旋律と叙情で傑作を書いているということを考えると、「ブラームスはメロディの創作が乏しい」などという批判派ナンセンスなものに思えてくる。彼はチャイコフスキーのような美しい旋律は書こうと思えば書けるのではないか。ただ、彼の音楽の作り方に対する価値観が違うので、あえて晦渋にも思えるような曲を作ったのではないか。「ひとつの動機を自由自在に展開していく」というところに作曲の醍醐味を感じていたのではないか?彼は音作りの職人だったのではないか。

ラベル:クラシック
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2008年06月22日

ブラームス ピアノ四重奏曲第1番ト短調

 今日は夏至の日だというのに、あいにくの雨。じめじめとした梅雨の季節なので晴れの夏至というのが普通かもしれない。ここのところ僕の心も梅雨空のように憂鬱だ。思いだけが空回りしているようで、6月に書きたい曲もいっぱいあったのだが、時間だけが過ぎていった。
こんな時はブラームスの青年時代の室内楽でも聴こう。

 ブラームスのピアノ四重奏曲は全部で3曲あるが、いずれも青年時代の作品で若々しい暗い情熱に満ちている。ボリュームとブラームスらしさと何よりも青年らしさの3点から僕は彼の室内楽曲の代表する存在だと思っている。響きの特徴として、室内楽だが、まるで交響曲のようなシンフォニックな響きを持っている。彼の交響曲が室内楽的な響きとよく言われるが、逆に室内楽がシンフォニックな響きを持っていることは非常に面白い。

第1番は、その中でもすべての楽章でブラームスの音楽の特徴が顕著に表れていて3曲の中で代表的である。第1楽章、シンフォニックな響き、冒頭の和音の見事な展開、バラードのところでも指摘した美しい旋律とその自滅的展開、まさにブラームス的。

 第2楽章、力強さや繊細さを感じさせるスケルツォでも華麗なメヌエットでもない、暗いため息のような音楽。独特なリズムが特徴的で、メカニカルなおもしろさもある。チェロソナタ第1番の第2楽章と同じく、ブラームスファンならたまらない音楽である。

 第3楽章、果てしなく続く青春の夢と郷愁。熟れすぎた果実のような濃厚な音楽。マーラー、リヒャルト・シュトラウスよりも後期ロマン的。この四重奏曲にはシェーンベルグのオーケストラ編曲盤があるのだが、その編曲盤でこの楽章を聴いてみるとよくわかるのだが、まさに世紀末的。

 第4楽章、ハンガリーのジプシー音楽。1,2,3楽章ですべてをやり尽くした彼にとって、残ったのはジプシー音楽だけだったのだろうか。前楽章を引きずっていないように見えるが、ジプシーは永遠のさすらい人と考えると、結局自分はさすらい人なんだ、つかの間の享楽で気を紛らそうという彼の気持ちが伝わってくるような気がする。深読みしすぎかも知れないが、ジプシー音楽を愛したのは、僕の知る限りではブラームスとシューベルト。ブラームスの室内楽は結構シューベルトの影響を受けているのだが、2人とも独身者だったことを考えると行き着くべきところに行き着いたのかなと思ってしまう。
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2008年06月30日

ブラームス チェロソナタ第1番ホ短調

 6月も今日で終わり。今日は本当にいい天気で目の前の運河も夕日を浴びてオレンジ色に光って、行き交う船の音も気持ちがいいのだが、昨日雨の中で書こうと思っていた曲について書こうと思う。今月は心の晴れない日も多かったので。

 心の状態というのは、自らと他者(人、環境など)の係わりで絶えず変化していく。気分よく過ごしていたものが、あることをきっかけに気分が悪くなったり、自分の体の状態がよくなかったりすると心も落ち込んだりする。「いい気分」から「悪い気分」への変化を考えてみたとき、その変化は徐々に起こるのではなく、急に場面転換でもするように起こるのではないのだろうか。この心の変化は音楽の転調よりももっとドラマチックなものでないかと思う。「気分変化」ではなく「気分転換」という呼び方をするのもわかる気がする。

 さて、ブラームスのチェロソナタ第1番は、冒頭からチェロが低い音域でローテンションな音楽を展開する。暗くじめじめした梅雨の雨の日のような音楽。良くも悪くもブラームス臭い音楽である。テンポはアレグロだが、ピアノ4重奏、5重奏曲のような疾風怒濤な音楽とは正反対の胆汁質な音楽が続いていく。
 
 僕はこの音楽を初めて聴いたとき、彼のヴァイオリンソナタのような明快性とは正反対の音楽に抵抗感を持ったが、何回か聴いているうちに、暗さの中にも光が差し込むような瞬間があり、ここのところが聴いていてとても快感で、ブラームスのヴァイオリン、チェロソナタの中では最も好んで聴く作品になってしまった。すべての楽章が短調であり一言で言うと「暗い」のだが、どこからともなく光が漏れてくるような救いもあり、暗いのか明るいのかわからなくなる不思議な音楽である。

 雨がしとしとと降り続ける第1楽章。チェロの後をピアノがカノンで追いかける。第2主題経過部において長調に転調する部分があるのだが、それまであたり1一面を覆っていた霧がさあっと晴れていくようである。しかし、音楽は再び厚い霧で覆われてしまう。

 第2楽章。雨の降り続く中、ひとり家の中で物思いにふける。暗いが本当に甘美な音楽。晩年の枯れた音楽ではなく、青年の感傷の息づかいが聞こえてきそうである。

 第3楽章。雨脚は強まった。時は待ってくれない。さあ、僕はもう出発しなければならない。強い雨に打たれても僕はどこまでも目標に向かって進んでいくだろう。打たれ続ければ、厳しいと思っていた雨も、何だか逆に心地よく思えてくる。
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2008年09月04日

ブラームス 『6つのピアノ小品』より第2曲 間奏曲イ長調

 暦では9月に入った。まだ昼間はせみの鳴き声も聞こえるが、青い空に浮かぶ雲はすすきのように流れていく。闇に包まれるのもあっという間、夕べのひと時が貴重なものに思われる。

 まだ、晩秋ではないが、ブラームスの小品が無性に聴きたくなるのはなぜだろう。季節の移り変わりの妙。刻一刻と移り変わる季節の妙とそれに呼応して移り変わる心の妙。彼の晩年の小品集は、そんな妙を心から満喫させてくれる。この叙情的な世界は、バッハ、モーツァルト、シューベルトと続く幻想曲の流れの延長線上に生まれた熟れた果実のよう。ただ、ここまで日本の美にも通じる枯れた叙情の世界は先人たちが決して表現し得なかった世界であることは確かだ。

 この間奏曲は、この小品集の中でもとりわけて美しく、心が揺すられる1曲。ブラームスの数ある名旋律の中でも、この曲の中間部のイ短調の旋律はとりわけて感動的。過去の美しい思い出がいっぱいに満ち満ちて零れ落ちてくるような音楽だ。ここまで、純粋に感動できる音楽は彼の他作品においては交響曲第1番の第2楽章の最後のほうで、独奏ヴァイオリンとホルンが掛け合う部分の音楽のみである。
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2008年10月02日

ブラームス 弦楽四重奏曲第2番イ短調

 まだ紅葉は早いが、道路を歩いていると、街路樹の落葉を見つけた。落葉になぜ人は惹かれるのだろうか。昔から東洋、西洋を問わず数多くの詩人、歌人たちが落葉の歌を読んできた。悲しみではないのだが、そこには暮れていくものの美があるのだろう。夕焼けに感動するように、盛りを過ぎて暮れ行くものしか感じさせることがない美が。

 寂しさに宿を立ち出でて眺むればいずくも同じ秋の夕暮れ
                     (良ぜん法師)

 ブラームスの弦楽四重奏第2番は秋の悲しみに満ちている。高音で奏でられる主題は夕暮れ時に鳴く鳥の高い声のよう。とても叙情的で何度も聴きたくなる美しい旋律だ。歌は長く続かず、黒雲か木枯らしのような低音の不安の中に掻き消されていく。ブラームスの心の葛藤を表しているのだろうか。第1四重奏曲は、旋律のない強烈な音の構成物だったが、この曲はずっと優しい。それでも、荒れ狂った1番の余韻を残している。

 ブラームスの魅力が凝縮された佳曲。僕は3曲の中でもこの曲が一番自然に聴きたくなる。ブラームス的な構成と叙情がぎゅっと詰ったこの曲の存在感はもっと大きくてもいいのではないか。

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2008年10月28日

ブラームス 弦楽五重奏曲第1番ヘ長調

 秋も後半に入った頃だろうか。晩秋までとは行かないにしても、秋たけなわを過ぎたのは確かだろう。午後の満潮の運河のきらめきはとてもまぶしい。深い群青色のなみなみとした海面には、ときおり銀色の鱗が体を翻すのが見える。河口付近の空は淡く、すすき雲が流れていく。欄干では釣り人たちが糸を垂れている。何と平和な昼下がりだろう。

 秋の昼下がりには、ブラームスの弦楽五重奏曲がよく似合う。1番、2番ともに似合うが、1番の方がよりぴったりするのではないだろうか。(2番については次回のブログで)平和な秋の昼下がりに、幸福な気持ちに浸る。美しく親しみやすい第1楽章の第1主題、第2主題は自然の秋と人生の秋を楽しもうとするブラームスの気持ちを伝えてくれる。忍び寄る夕暮れと老い。ときおり顔を覗かせる憂愁な旋律は、この有限な幸福な時間がとても愛おしい一時であることを感じさせてくれる。

 僕たち日本人は古来より秋の歌を詠んできた。秋に対する鋭い感覚、美意識は群を抜いているのではなかろうか。芸術の秋という言葉もそんなところに由来があるのかも。秋を愛する日本人にはブラームス好きが多い。特にブラームスの晩年の作品は、「もののあはれ」に通じる情緒に満ちている。若者でもブラームスの晩年の作品に惹かれるのは、この「もののあはれ」を感じる能力が優れているからだろうか。

第1楽章:幸福な秋の午後の昼下がり 
第2楽章:あっという間に暮れゆく夕暮れ時
第3楽章:ときめきながら帰途を急ぐ

 少年時代を思い出す。秋の午後友人と海へ釣りに出かけた。満潮のきらめく海面の下には、どんな魚がいるのだろう。ときおりしなる竿に胸をわくわくさせながら、幸福な時間が過ぎていく。友人は魚を釣り上げたが、僕の釣り針には一向に獲物がかからない。日がだんだん傾いて、西の山に差し掛かったとき、小さな一匹を釣り上げる。「さあこれからだ」と辺りを見渡せば、海面はすっかり暗くなり冷たそうな波の音だけが聞こえる。沖には船の照明が波に揺れて輝いている。海面に伸びた釣り糸も闇に包まれ見えなくなった。寒々とした風。「もう帰ろう」僕は自転車のペダルを思いっきりこいだ。はじめて釣れた一匹を自慢し、料理してもらうことに心を躍らせながら。

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2008年11月03日

ブラームス 弦楽五重奏曲第2番ト長調

 11月に入りいっそうと冷え込むようになった。今日はちょうど文化の日。昨日もいろんなところで文化祭を行うのを見た。青い空と紅葉と模擬店がよくマッチングしている。

 ブラームスの弦楽五重奏曲第2番。晩秋に似つかわしい曲だが、先日の1番とはまた違った趣を持つ。1番はリラックスしたブラームスの自然な感情に満たされていたが、2番のほうは作曲家としての気負い、プライドのようなものがあるように思う。交響曲でたとえれば、1番と2番が逆になったような感じである。

 第1楽章の冒頭は、波のきらめきのようなトレモロの中、まるで水底から浮かび上がってくるようにチェロが力強く上昇していく。1度聴いたら忘れられないこの出だしだが、晩秋の暖かい趣きとともに、全身全霊を振り絞って創造力を生み出そうとする老作曲家のすさまじいパワーをひしひしと感じるのである。老いとともに創造力の枯渇を感じたブラームスは実際「創造力のともなわない作曲はすべきではない」とこの曲を最後に大曲の作曲を諦める。(実際は再び創造力が刺激されクラリネット室内楽の傑作を世に送り出すことになるのだが)

 第1楽章の再現部の冒頭。同じ旋律で今度はヴァイオリンが上昇カーブを描いていく。今度は青空に舞う鳶のような飛翔である。老作曲家から絞り出た創造力は、もはや自由に飛翔して、完全に天才の域にまで達している。何という感動だろう。

 第2楽章はため息の音楽。作曲家の本音が寂しく語られていく。それにしても、この楽章はため息度から言えばブラームス全作品中で随一であることは間違いない。中間部での泣きもいっそうため息感を強くする。

 老いと創造力の交差するこの曲は、力を失った時、本当に僕に力を与えてくれる。「ブラームスありがとう」と心から言いたい。

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2009年02月07日

ブラームス ピアノ四重奏曲第2番イ長調

 ちょっとした小春日和のような暖かさが感じられる1日でした。空気は冷たいのですが、日のぬくもりを受けて、今まで寒さの中でじっと固まっていた何かが動き出しそうな期待感をかすかに抱きました。

春は近くまで来ているかわいい


 真っ青な空の下、冷たい風に揺れる一面のすすきとすっかり葉を落としてしまった木々。寒さの中にも、明るい希望が・・・。このような日には、

日溜まりの音楽晴れ


を聴きたくなります。日溜まりの情緒を感じさせてくれる作曲家といえば

シューベルト
ブラームス

この2者の右に出る者はありません。今日はブラームスの日溜まり情緒に満ちた傑作ということで、

ピアノ四重奏曲第2番イ長調

ブラームスのピアノ四重奏曲と言えば、第1番ト短調がもっぱら有名で、2番は変化に乏しく平明であるという評価をされてしまって目立たない存在となってしまっています。ウィキペディアの解説も未だに書き込みがありません。でも、ちょっと待ってください。第2番は第1番に劣らないばかりか、第1番にはない魅力を持った傑作です。

第2番の特徴は

壮大なスケール(ブラームスの室内楽の中で最も演奏時間が長い)
一度聴いたら忘れられない特徴的なリズム
音色が豊かで、オーケストラのような響き
陰影に富んだ豊かな叙情


そして

冬の晴れた日にかすかな期待と郷愁を抱かせる詩情(主観的ですが)


です。このことから、第2番は第1番の陰に隠れた存在なのではなく、第1番と対をなす存在であると言えます。ブラームスのピアノの室内楽の作品は

ピアノ三重奏曲・・・3曲
ピアノ四重奏曲・・・3曲
ピアノ五重奏曲・・・1曲


ですが、質と量を考えると四重奏曲が群を抜いていると思います。


第1楽章アレグロ
穏やかな特徴的なリズムを持つ主題で始まる。単純な主題が油絵の具の重ね塗りのように重厚な音楽に発展していく。第2主題のリズムはもっと特徴的で一度聴いたら忘れられない。主題展開部では、第1主題と第2主題がシンフォニックに展開され、オーケストラを聴いているような迫力がある。


第2楽章アダージョ
晴れた真冬の湖面に映った景色を見ているような情緒がある。しばしば表れる弦とピアノの弱音が印象的。移ろう若者の心の変化を表現しているのだろうか。


第3楽章スケルツオ
力強い舞曲。若者のエネルギーに満ちている。


第4楽章フィナーレ。アレグロ
新しい朝日を浴びて、新たに出発するようなはじまり。第1番と同じようにジプシー音楽が顔を出す。




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2009年04月21日

ブラームス ヴァイオリンソナタ第1番ト長調『雨の歌』

 夕方から雨が降り続いています。傘をささずにちょっと外へ出かけましたが、とても気持ちのいい雨でした。おそらく、桜の木の若葉からこぼれる水滴がとても新鮮に僕の眼に映っていたからかもしれません。

 暮れていく中、一人雨の音を聞きながら書き物をする

こんな時、『雨の歌』の第2楽章のほの暗くも抒情的な音楽がぴったりです。冷たい冬は去って、雨の一夜を明かせば、暖かい日差しの朝が待っている。

 第1楽章と第3楽章の明るく美しい音楽に挟まれたこのアダージョは、沈んだ情緒の中にも、何か期待感のようなものが感じられて、何度聞いても心地よい音楽です。

 そして、第3楽章のアレグロ『雨の歌』。期待感を抱きながら、帰路につく身に、しとしとと降り注ぎ続ける雨。心地よいけれども、心持足を速めている自分に気付きます。

 この作品はブラームス円熟期の作品ですが、春を思わせるとても明るくて美しい音楽です。ピアノ三重奏曲第1番や弦楽六重奏曲第1番のような、悩ましくて激しい思いの春ではなく、落ち着いた春の雰囲気です。このあたりはやはり円熟期の作品だからでしょう。

 それにしても、ヴァイオリンソナタは春の雰囲気にぴったりくる曲が多いです。このブログで取り上げたものでも

ベートーヴェンの『春』、『クロイツェル』
フランクのソナタ
フォーレのソナタ
ドヴォルザークの小品
グリーグのソナタ


があります。まだまだたくさんあるのですが、別の機会に取り上げたいと思います。








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2009年06月30日

ブラームス ピアノ協奏曲第1番二短調

 6月も今日で終わり。なかなか梅雨が明けません。どんよりした曇り空の毎日、いつの間にか雨が降り出している情景に会うことが今年は特に多いような気がします。それでも激しい雷雨が梅雨明けを宣言する瞬間は刻一刻と近づいています。

 
 ブラームスのピアノコンチェルト第1番。どんよりとした梅雨空に挑戦するかのようなこのエネルギッシュな曲を僕は愛します。ブラームスのピアノコンチェルトは中学の時から何度も聴いてきましたが、円熟味あふれる大傑作の第2番よりも、この荒削りな第1番の方が圧倒的に聴いた回数が多いです。

 この曲から連想するキーワードは

「決断」と「迷い」
「内向性」と「爆発」
「純粋性」と「重層性」

です。この曲が作曲されたのはブラームスが20代前半のころ。シューマンとの出会いから別れまでの期間とすっぽりと重なっています。この曲の特徴である重苦しさと美しい憧れの2側面には、シューマンの悲劇とクララへの慕情が大きく関係しているのは間違いないでしょう。


@「決断」と「迷い」
この曲はとても重厚で長大な序奏で始まります。この重厚長大な序奏は、

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番

第1楽章のあの有名な大河の流れのような序奏と肩を並べる

ピアノ協奏曲の2大序奏

であり、ブラームスの作品でいえば、

交響曲第1番第1楽章

交響曲の歴史の濃縮エキスが詰まったような重厚な序奏と肩を並べる

ブラームスオーケストラ作品の2大序奏

です。この序奏は迫力満点の豪快な音楽なのですが、何度も聴いているととても不思議な感覚になります。なぜなら音楽が

「決断」と「迷い」

という相対立した2つの要素を感じさせてくれるからです。オーケストラの強奏は若きブラームスが「過去」を清算して「新しい出発」をする決意なようなものを、そして、第1主題の動機である「同じところを行ったり来たりする」ような徘徊する旋律は、過去あるいは現在のふっきれない思いを表わしているようです。「男らしさ」と「なよなよしさ」とでも言ったらいいようなこの2つの矛盾した要素はとてもブラームスの音楽らしいと思います。


A「内向性」と「爆発」
 この曲は「モニュメント」的なアイデンティティを持ってます。ピアニストとして出発したブラームスは、ピアノ曲を中心に、室内楽、歌曲などの作品を世に送り出してきました。が、ベートーヴェンを尊敬するブラームスからすれば、交響曲の作曲は作曲家としての大きな目標の一つだったに違いありません。交響曲の作曲を試みましたが、結果的には交響曲を断念し、ピアノ協奏曲として実を結びました。

 ブラームス最初のこのフルオーケストラ作品の曲想は非常に内向的です。内向的な思いを抑えきれずに爆発したといった方が適切かもしれません。なぜ、内向的なんでしょうか。僕はその答えの一つとして、この作品は、ピアノ曲『4つのバラード』作品10の答えになっているからだと思っています。このバラードの第4曲アンダンテ・コン・モートはまるで「霧の中をさまよい、霧の中に消えていくような」音楽です。このまま終わることはできないとブラームスは考えたのかもしれません。このあと、

セレナーデ第1番ニ長調作品11
埋葬の歌作品13


とオーケストラを伴う曲を作曲したのは、このピアノ協奏曲(着想時は交響曲)への布石のようにもみえます。ちなみに、このピアノ協奏曲の第1楽章展開部ほど長大な展開部はブラームスの他のオーケストラ作品では見ることができません。溢れるエネルギーを抑えることができなかったのか、この作品を最後に長大な展開部をブラームスは封印しています。


B「純粋性」と「重層性」
 この2つのキーワードはブラームスの作品全体に見られる特徴です。僕はブラームスという人は、非常に純粋な優しさを持った人だと思っています。伝記やエピソードではなく、これは彼の作品から感じ取ることができるものです。ベートーヴェンもそうですが、非常に作品は職人的で、仕掛けに満ちており「重層性」があるのですが、それらが生み出す情感はとても健康的な純粋性に満ちています。

 長大な第1楽章ばかりが注目されますが、第2、第3楽章は非常に若々しいさわやかさと純粋さを感じさせる傑作です。特に第2楽章のアダージョはブラームス自身が手紙の中でクララの肖像といったように、果てしのない優しさと慕情にあふれています。このような音楽は若い青年音楽にしか書けない音楽です。僕は、

ショパンのピアノ協奏曲第2番
グリーグのピアノ協奏曲
ブラームスのピアノ協奏曲第1番


の第2楽章を、ピアノ協奏曲の

女性を描いた3大アダージョ

だと考えています。







 
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2009年09月12日

ブラームス 2つのラプソディ

 秋の青い空とひんやりした空気にはブラームスのピアノ曲が良く似合う。ブラームスのピアノ曲は独特の情感を持っていると僕は思う。
ベートーヴェンにも、シューマンにもない俳句の持つ「わび・さび」の世界がそこにはあるように思う。

わび・さびとは日本の美意識で、一般的には質素で静かなもののことを指す。

ドイツの作曲家の中でこの「わび・さび」の情感をピアノで表現できたのが

バッハ
シューベルト
ブラームス


の3人である。グールド、ルプー、アファナシエフのように叙情を大切にするピアニストが好んで彼らの作品を取り上げるのもうなずける。

秋の午前には第1番
秋の午後は第2番

ブラームスのピアノ曲の中で初秋にふさわしいのが、この2つのラプソディだ。言わずと知れたブラームスのピアノ曲でもっとも有名な曲。

秋の青空のような澄んだ叙情
男性的な低音域
メカニックな独特の緊張感


2曲ともに共通する楽想だ。2曲をセットにした作曲者の思いが伝わってくるようである。そういう意味では

双子のラプソディ

と名づけたほうがいいかもしれない。


ブラームスのピアノ曲の楽想的特長は2つ。

子守唄とラプソディ

初期のソナタを除くと、ほとんどの曲がどちらかのカテゴリーに入る。また1曲の中にこの両面の要素が共存している。

これからますます秋が深まっていく。何度もブラームスのピアノ曲を聴くことだろう。


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2009年09月25日

ブラームス ピアノソナタ第2番嬰へ短調

 優れたピアニストとして世に出たブラームスの初期の作品はピアノ曲で固められている。

作品番号1 ピアノソナタ第1番ハ長調
作品番号2 ピアノソナタ第2番嬰へ短調
作品番号4 スケルツォ変ホ短調
作品番号5 ピアノソナタ第3番へ短調



 これらの作品はブラームスがまだ20歳になるかならないかという頃に作曲された若者の意気揚々しさと瑞々しい感情にあふれた傑作である。

 ブラームスはピアノソナタ第3番を完成させた後、2度とピアノソナタを作曲することはなかった。そういう意味では、ブラームスのピアノソナタの位置づけは


ショパンのピアノ協奏曲と似ている


とも言えるだろう。そして、面白いことに、ピアノソナタ第2番の方がピアノソナタ第1番よりも先に作曲されていることも、ショパンのピアノ協奏曲の番号と事情が似ている。

第1番 ちょっと技巧的にこだわりを感じさせるまとまりの良い作品。第1楽章の第1主題はベートーヴェンのピアノソナタ第29番そっくり。この作品を初めて聴いたとき、素人の僕も驚いてしまった。あえてベートーヴェン的な主題をもつこの作品をソナタ第1番として、最初の大演奏旅行にひっさげてリストやシューマンの門を叩いた彼の心がなんとなくわかるような気がする。

第2番 飾り気のない実直さが気持ちよい。僕は3曲のピアノソナタの中でこの曲が一番好きだ。3曲の中では最も若く、シューマンぽさを感じるところもある(シューマンのピアノソナタ第1番も嬰へ短調)が、若者の楽想爆発といった感じで、武骨だがストレートな若きブラームスの姿が目に浮かぶようである。素晴らしいのは第4楽章で、序奏付きのソナタ形式。3つのソナタの最終楽章の中では最も規模が大きく充実している。

 ちなみに、なぜこの嬰へ短調のソナタを第1番としなかったのか。それはショパンと同じような照れくさい気持があったからではなかろうかと僕は勝手に推測している。




ブラームス:ソロ・ピアノ作品全集

ブラームス:ソロ・ピアノ作品全集

  • アーティスト: オピッツ(ゲルハルト),ブラームス
  • 出版社/メーカー: BMG JAPAN
  • 発売日: 2003/06/25
  • メディア: CD



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2009年10月31日

ブラームス 交響曲第2番ニ長調

 ある地平線上に浮かぶ太陽の絵があった。僕はその太陽の絵を見て、沈みゆく夕陽だと思ったので、「素敵な夕日ですね」と声をかけたのだが、「夕日ではなく朝日です」という答えが返ってきた。実はこの画家、朝日をテーマに連作で描いているらしい。失礼な発言をしてしまった。

 
 どうも僕は陰的なものに美をかんじるようだ


 人には陽的な人と陰的な人がいるのだと思う。先天的なものと後天的なものでその人の人生観、美的感覚が築かれるのだと思う。作曲家の音楽にもこれは当てはまり、ベート―ヴェンの音楽は陽的、ブラームスの音楽は陰的とおおざっぱであるが言うことができるだろう。

 
 ブラームスの第2交響曲の第1楽章の冒頭の主題を聴くと、おそらく多くの人が「沈みゆく夕陽」を思い浮かべるのではないだろうか。当時、指揮者として活躍したクレッチマーの「沈みゆく太陽が崇高でしかも真剣な光を投げかける楽しい風景」という形容はこの曲の解説には必ずと言っていいほど登場する。

鈍重な低弦の響き
牧歌的すぎるホルン
遠雷のようなティンパニ



秋の夕暮れにこれほどぴったりくる音楽はないだろう。


ところが、ティンパニが小休止したあと、明るい光が差し込むような柔和な主題が出てきてクレッシェンドを築く。ここの部分はまるで


生命力に満ちた朝日が昇る


ような光景を彷彿とさせる。音楽の流れを風景に例えると、沈みゆくと思っていた夕日が、再び昇って明るい光を投げかけるといった超自然現象となるのだろうか。僕はこういったところが、歌詞のない器楽曲の楽しみであり、絶対音楽にこだわったブラームスの音楽の醍醐味だと思う。そういう意味では、僕のブログは音楽から感じたイメージを風景や情景に変換して言葉で表わしているので、あまり意味がないことをしているということにもなるのだろう。


ブラームスの2番は親しみやすいが、ブラームスの4つの交響曲の中で、一番価値が低く貶められているように思う。(逆に3番はかなり持ち上げられているのではないかと思うことがある)どの曲も個性豊かで、その時の心境によって、僕のベストは異なる。



紅葉の秋にはやはり2番



この2番については、語りたいことが山ほどあるがそれは別の機会で。





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2009年11月24日

ブラームス 弦楽四重奏曲第1番ハ短調

 ブラームスの弦楽四重奏曲は傑作か?特に第1番の弦楽四重奏曲を聴くたびに、僕は何度もこのような質問を自分にぶつけてみる。


確かに、名曲として一般的に紹介するには、


ちょっと渋すぎる
内へ内へとこもっていく暑苦しい音楽
なにか焦りのようなものを感じる
メロディとは程遠い



などなど気軽に薦めることができる曲とは言いがたい。それでも、この曲はブラームスの作曲エキスが濃縮されているいう点では、他のブラームスの弦楽室内曲(四重奏曲よりも評価が高い六重奏曲、五重奏曲)以上の価値があると思う。


意図的過ぎる各パートの役割
実験的な表現
怒りとかなしみと野望がごちゃごちゃになった感情の塊


この曲の作品番号は51の1で、作品51の2は第2弦楽四重奏曲である。このような作品番号のつけ方は、この2曲が双子のような性格を持っていることを表していると思う。激しい1番と叙情的な2番と表面的には対照的だが、根っこは内面的で渋く同じように感じる。


ブラームスファンにはたまらなく魅力的な1曲である




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2010年03月10日

ブラームス クラリネット五重奏曲ロ短調

 正午過ぎから降り続いていた冷たい雨は、日暮れから間もなくして大粒の雪に変わった。車のフロントガラスに当たった雪はこんこんと音を立てて跳ね返り、あっという間に白くなっていく都心の路上に気を取られながら帰路を急いだ。

名残惜しいこの冬最後の牡丹雪

 それにしても雪は不思議な存在だ。雪が積もれば都心の交通はマヒし、経済活動にも支障が起こる、雪は迷惑な存在だ。しかし、雪を普段見ることのない都心に暮らす身には、積雪は期待を抱かせる出来事であり、「仕事に支障をきたして困るけれども、積雪の世界を見たい」と思わせる矛盾した存在だ。「合理性の追求」と「情緒性の追求」の先には、「心地よい緊張感」がある。こういうのを「スリル」と言うのだろうか。

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 真冬の雪と違って、春先の雪にはどこか名残惜しさを感じてしまう。そこには「合理性」よりも「情緒性」を喚起させるものがある。3月という月が連想させる「別れ」「ノスタルジー」などといった言葉が「雪」にかかってそうさせるのだろうか。僕が春の積雪を見ると決まって思い出す音楽がブラームスのクラリネット五重奏曲のアダージョだ。


過去の甘い思い出に浸った曲


 晩年創作力の衰えを感じたブラームスは、いったん作曲の筆を絶ったが、名クラリネット奏者ミュールフェルトとの出会いによって再び創作力を刺激され、この名曲を作曲する。この曲は間違いなくブラームスの最高傑作のひとつだが、青年期、壮年期のブラームスの持つ音楽の楽想とは全く異なる。この曲ほど「さびしさ」と「甘さ」がみぞれ交じりの雪のように一緒になった曲がかつてあっただろうか。音楽家として地位も名誉も手に入れたブラームスにとっては、かつてのように「偉大な作曲家からの重圧」も「野心」も、もはや無縁であった。過去をいと惜しむような心情が素直に綴られているだけである。


クラリネットが浮かび上がる甘い「過去」
弦楽器が忍び寄るさびしさの「現実」



をわかりやすく伝えてくれる。わかりにくいと言われるブラームスの大曲の中にあって、これほどわかりやすい曲は他にはないだろう。


ブラームスは演歌の極みにまで達している


と言っても過言ではないと思う。俗に作品が演歌的だと言われるチャイコフスキーはブラームスの作品に対して批判的だった。ベートーヴェンのように短い主題を巧みに展開していくブラームスの音楽の作り方に不自然なものをチャイコフスキーは感じていたのかもしれない。(ちなみにチャイコフスキーはベートーヴェンよりもモーツァルトを尊敬していた)しかし、クラリネット五重奏曲はチャイコフスキーの作品が持つ演歌的魅力をはるかに超えてしまった。おまけに、室内楽の傑作を何曲も残したブラームスの室内楽の作曲技法の集大成を同時に見ることができ、演歌的だが飽きがこない恐るべきレヴェルに達している。チャイコフスキーがこの曲を生前に聴いていたらどのように評しただろうか。

 最後に、この曲の最終楽章は変奏曲形式になっている。最終楽章を変奏曲形式にすると、非常に回想的な雰囲気が強まる。ブラームスの作品では、交響曲第4番や弦楽四重奏曲第3番で、他の作曲家で同じような効果を持つ作品として、モーツァルトの弦楽四重奏曲第15番ニ短調があると思う。

参考に
http://yachaba.seesaa.net/article/90802493.html

posted by やっちゃばの士 at 14:27| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ブラームス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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