2008年02月22日

ショスタコービッチ交響曲第4番ハ短調

ショスタコービッチの第4交響曲は、今の僕が一番好きな曲だ。
聴けば聴くほど奥の深い曲である。才気あふれる若者の気鋭が外へ向かってとめどなく爆発する。カッコウの鳴き声が巨大に膨張してくる所などここのところの僕の心情と一致する。

僕は昨年の2次試験の前後何度も何度もこの曲を聴いた。試験の合格と重なってか、この曲には何か不思議な力まで感じている。

さて、この曲は作曲者の生前に演奏されなかったということだが、うなづけるような気がする。僕なりにこの曲の曲想を言葉に表してみるなら既存体制の破壊だろうか。既存体制、今の環境、会社、常識をくつがえす若者の出現。
 僕は僕の第4交響曲を必ず演奏してみせる。

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2008年03月28日

ショスタコーヴィッチ交響曲第7番レニングラード

 桜の花が街のいたるところで見られるようになった。3月も後半になると国立大学の合格発表の季節。喜びとため息の混じった昔を懐かしく思う。僕は運よく合格したが、僕の友達は落ちてしまったのだった。岡山駅西口のベンチで肩を落としてうつむく友達になんて声をかけていいのかわからなかった。

 さて、ショスタコーヴィッチの第7交響曲と受験と何が関係あるのだろうと思われるかもしれない。試験場での1日が戦争に例えられるからだろうか。それも少しあるかもしれないが、僕が大学入試まじかに出会った大曲がこの曲なのだ。入試の日の朝、僕の心の中には第1楽章の冒頭の明るい2つの主題が響いていた。僕は、この主題の持つ人工的な明るさとでもいったらいいようなどこか不思議な魅力にはまっていた。

 大学のキャンパスは、工場のように広かった。コンクリートの塊のような校舎の間を抜けて試験会場に向かった。各地から集まった受験生、先生たち。試験には先生たちは手を差し出すことは出来ない。僕は自分のアイデンティティは何なのだろうと考えてしまった。大学の壁は僕を拒否しているように見えるし、もう高校にも戻れないのだ。自分の道を自分の力で開拓していかなければならない。自分という存在を信じるしかないのだ。「実存」という概念が頭に浮かんだ。(この「実存の孤独」に入学後悩まされ続けることになるのだが)

 シベリウスの交響曲は「人」のいない交響曲だと著名な評論家が評したことは有名だが、ショスタコーヴィッチの交響曲は「神」のいない交響曲だと言えるのではないだろうか。僕はこの曲の第1楽章よりは中間の第2、3楽章を好んで聴く。叙情的で何か「過去」あるいは「故郷」とでもいった何か人間を温かみを持って受け入れてくれるものに自己の拠所を捜し求めているように感じるのだ。第3楽章は彼の交響曲で唯一「神」を感じる部分である。
  
 第4楽章では、現実に戻って戦いと勝利が歌われるのだが、何か空虚のようなものも感じる。現実は前に進むしかないのだ。「自己」とは「神」とはそれをはっきりと知ることは出来ないが、ただ自分を信じて前に進むだけなのだ。曲が回想的になって勝利を手にしていくところは感動的だ。ただ、外敵には勝利したが、内面の問題は未解決のままだろう。その後の交響曲を聴いてみて、この作曲家にとって「音楽」とは何だろう、「幸福」とは何だろうと考えてしまう。ただ、そういう彼の曲を好んで聴く自分もいるのだが。

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2008年04月21日

ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番

 4月も20日を過ぎて、そろそろ5月病にかかる学生、社会人も出始める頃ではないだろうか。自分が期待していたものとは違う現実を前にして気をふさいでしまうのだろう。この世は不条理なものと実存主義に陥る若者も多いことだろう。

 ショスタコーヴィッチの交響曲第5番を始めて聴いたのは中学2年か3年のある雨の日だった。僕は1楽章の独特の何か矛盾を抱えたまま進むような音楽に強くとらわれた。そして、その時僕が同時に熱中していたのがルネッサンス期からバロック時代にかけての西洋画の画集だった。とりわけ、ヒエロニムス・ボスの作品は強烈で、ショスタコーヴィッチの曲を聴きながらボスの画集を眺めていたものだった。不思議とボスの描く世界とこの曲がぴったりくるのだ。今さら、ショスタコがこの曲を書いた動機に触れるつもりはないが、悪魔に魂を知らぬ間に奪われようとしていく人間の姿、悪魔の誘惑に打ち勝とうとしながら頭を抱える修道者の姿、そして悪魔の楽園で享楽に耽る人々の姿が、この曲を聴いていると浮かび上がってくるのだった。

 さて、この曲の終楽章は一応歓喜で終わるのだが、僕はそれでよしと思っている。悲劇で終わったらどうなるだろうか。もし、悲劇しかないのだったら人間生きる意味がないことになるし、生きようとする意志も沸いてこないだろう。どんなに矛盾を感じても前に進むしかないのだ。ハンス・カストルプ(トーマス・マン魔の山の主人公)のように、山から降りて戦場に向かうことを決断しなければならない。
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ヒエロニムス・ボス「聖アントニウスの誘惑」
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ヒエロニムス・ボス「快楽の園」
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2009年05月01日

ショスタコーヴィッチ 交響曲第3番『メーデー』

 新しい月、新緑の芸術の五月を迎えました。さわやかな音楽で五月最初の記事を始めたいところですが、5月1日ならではの曲について書いてみたいと思います。

ショスタコーヴィッチ 交響曲第3番『メーデー』

 5月1日はメーデーです。僕は共産党でも労働組合員でもないので、メーデーとは全く無縁ですが、このショスタコーヴィッチのあまり聴かれることのない交響曲のために、あえて「メーデー」を意識したのでした。なぜなら、

この交響曲を聴く機会はおそらく全くないから

です。

 ショスタコーヴィッチは15曲の交響曲を作曲しましたが、それらは作風から4つのカテゴリーに分けることができます。

@軽妙なハイドン風交響曲 1番、9番、15番
A情のこもった本格派交響曲4番、5番、6番、7番、8番、10番
B歌(反戦歌)つき交響曲  13番、14番
C革命をテーマにした表題交響曲 2番、3番、11番、12番

このカテゴリーの中で、一番聴れないのがCです。なぜなら、

1.革命という表題に音楽が縛られていて、普遍性に欠けるから
2.曲想が外面的で、機会音楽風であるから

第3番『メーデー』も、「」や「恐怖」を連想させるこの革命カテゴリーの中に入りますが、そういったキーワードを感じさせない、明るさと溌剌さをもった曲想になっています。

そこに僕が見出す景色は

明るい小川
真っ白な巨大なカンバス
巨大な広場で囀る鳥たち
真っ青な青空
同じ方向を向く群衆
不安の混じった希望

です。よく考えると、これはどこかで見たことのある風景です。そう、北朝鮮のニューススタジオの背景に描かれたユートピアです。

この曲を作曲した当時のショスタコーヴィッチの思想はわかりませんが、彼は当時25歳。これくらいの年頃の青年は、自信や野心に満ちあふれているものです。共産主義体制に対する不安があったかもしれませんが、同時に体制に期待するもの、時代の風潮に乗って上昇したいという気持ちもあったと思います。

若者独特のエネルギーと爽やかさがあります。



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