2008年02月28日

モーツァルト交響曲第38番「プラハ」

モーツァルトは天才音楽である。これは誰でも知っていることであるが、その中でも、これぞ天才といった曲が各ジャンルに存在する。

 僕が、そういう意味で、交響曲の中で、一番傑作だと思うのがこのプラハ交響曲だ。いわゆる後期三大交響曲よりも1枚上をいくと思う。

 僕はこの曲を聴くたびに高校生の頃からなぜか「軽い足取りで、階段から降りてくるモーツァルトの姿」を想像してしまう。変幻自在と表現したらいいのだろうか、他の作曲家にはまねの出来ない曲想である。そこから感じ取れるのは「妙」の世界。祝典的な雰囲気があるが、ただ明るいだけでなく、陰の部分もあるが深い悲哀さも感じない。

 そこにあるのは、物語。「魔笛」につながりを感じるのは僕だけだろうか。



 クーベリック、バイエルン放送響盤(SONY) 
posted by やっちゃばの士 at 15:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツアルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月15日

モーツァルト ピアノ四重奏曲第1番ト短調

 ピアノ四重奏曲の名曲を求めて、調べてみるとこの編成の名曲は極めて少ない。なんでこんなに少ないんだと思ったのは僕だけでないだろう。ただ幸いなことに、後世に残された曲はいずれも名曲ばかり。
モーツァルト2曲、シューマン1曲、ブラームス3曲(なんとモーツァルトよりも多い)。


 モーツァルトの曲は「痛み」とも言ったらよいような「悲しみ」がひしひしと迫ってくる。透明度の強い「青い悲しみ」である。モーツァルトのト短調といえば、小林秀雄が「疾走する悲しみ」と表現しているように独特の深い悲しみを感じさせてくれるが、自然に流れる涙のような悲しみはこの曲の特徴ではないかと思う。ト短調交響曲は木管楽器の柔和な響きが少し悲しみを和らげているように感じるし、弦楽5重奏は弦楽器だけなので悲しみが胸の内にこもって少し苦しそうにも感じる。

 僕はこのような曲を、よっぽどの時しか聴かない。悲しさで胸が詰まってくるからだ。モーツァルトはこの曲を作曲した後、変ホ長調の第2ピアノ四重奏曲を書き上げるのだが、そこでも第1ピアノ四重奏曲の悲しみを引きずっている。交響曲、弦楽5重奏曲においても対をなす長調の傑作が生まれているのだが、そちらの方は気分転換がされているように思う。多分、ピアノは一番身近な楽器であり、彼の素直な心情が反映されるのだろう。
posted by やっちゃばの士 at 12:19| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | モーツアルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月25日

モーツアルト弦楽四重奏曲第15番二短調

 先日3月17日、僕が学生時代から慕っていた兄のような先輩が亡くなった。僕は驚きとショックで感じながら、若くして逝かざるをなかったその人のことを思った。春の訪れの気配の中、今年の桜の花を見ずして。

 昨日は日曜日。家族で車で出かけたが、春らしい曲が聴きたくて、車のオーディオをオンにした。曲はモーツアルトのハイドン四重奏曲第14番、春の四重奏曲といわれている曲だ。モーツアルトが異例の長い歳月をかけて完成したハイドンセットの1曲目として充実した内容だが、ドライブしながらなので、いまいち曲が頭の中に流れ込んでこない。逆に僕が惹きこまれたのが14番とカップリングされている15番二短調のほうだった。

 ニ短調四重奏曲は、どの楽章も暗い。後のト短調の交響曲のような深い悲しみとは少し趣をことにするが、僕はこの曲に対するモーツアルトの並々ならぬ意欲を感じる。どの楽章も聴いた印象ではゆっくりとしたテンポで緩徐楽章のように聴こえる。特に最終楽章が歌に満ちた変奏曲であることに改めて驚きを感じる。室内楽曲で変奏曲が最終楽章にくると、何か回想的な雰囲気にさせてくれる。ブラームスのクラリネット五重奏曲もそうだが、最後が回想的になると非常に深い感銘と名残惜しむような余韻を与えてくれるのだ。

 さて、ブラームスの曲は非常に個人的な悲しみに感じられるのだが、モーツアルトの曲はもっと自然的、普遍的な悲しみ、透明度の高い悲しみに感じる。この違いは果たして何であろうか。モーツアルトが人がよく言うように天才だからであろうか。

 時刻は夕暮時。変奏曲が流れてきた。薄暗くなった春の野の空を舞うひばりたち。その歌声はなぜか寂しく悲しい。僕はこの変奏曲の中にしきりに登場するタタタタという旋律が、哀しく鳴く鳥の歌声のような気がしてならない。素朴な歌声であると同時に運命の動機のようにも聴こえる。

 鳥は決して哀しいわけではないだろう。それを聴いている人の心が哀しいからそのように感じるのだろう。逆に言えば人の悲しい心を慰めてくれるために鳥が歌ってくれるのだ。優しい鳥たち。僕はモーツアルトの曲の本質が少し分かったような気がした。

モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番&第15番モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番&第15番
販売元 : Amazon.co.jp 音楽
価格 :
[タイトル] モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番&第15番
[アーティスト] アルバン・ベルク四重奏団
[レーベル] EMIミュージック・ジ..
>>Seesaa ショッピングで買う
posted by やっちゃばの士 at 00:43| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | モーツアルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月13日

モーツァルト 幻想曲ハ短調

 幻想曲。この言葉から何を想像するだろうか。自由に飛翔する想像の世界だろうか。クラシック音楽で言えば、オーケストラの曲よりも器楽曲のほうが幻想の波長が大きいような気がする。特にピアノ曲の幻想曲は格別だ。静かな池に小石を1個ドボンと投げた時に出来る余韻のようなものを感じる。幻想曲では音と音のあいだの「間」が印象的である。まるで東洋画のような世界だ。

 モーツァルトの幻想曲は不気味な和音で始まるが、この曲を聴けば誰もがこの曲の意味は何なのだろうと考えずにはいられないはずである。「天才モーツァルトの気まぐれ」「天才モーツァルトの深遠なる胸のうち」などと考えてみたりするのだが、僕たちには分からないので、結局「モーツァルトの謎」としか答えられないのである。ただ、「モツァルトの謎」という表現が曲によりいっそうの奥ゆかしさを与えていることは間違いないはずである。僕もいろいろと考えてみた。言葉で表現するのは意味のないことだと思いながらも、少し言葉で表現してみたい。

 この幻想曲は、シューベルト、ショパン、ブラームスたちのものと比べて僕が感じる大きな違い。それはモーツァルトの曲は「あちら側の世界」の音楽だということ。不気味な曲の始まりは「あの世」の入り口のような気がする。そこにはまだ恐れや驚き、悲しみも存在している。暗いトンネルを通り抜けて、平和な明るい世界が広がりどこからともなく「子守唄」が流れてくる。母の子守唄だろうか、妙に懐かしい感じがする。子守唄の流れてくる方向に歩いていると、そこに懐かしい母が立っている。ここはあの世だったのだ。懐かしいお母さん。走りよって抱きしめようとした瞬間、母の姿はもろくも消え去るのだった。ただ、まだ子守唄は聴こえている。胸の高まりを感じながらもと来た道を帰るのだった。目が覚めると先ほどうとうとしていた格好のままである。まもなく朝である。

 幻想曲ハ短調はピアノソナタハ短調と続けて演奏されるが、この2つの関係は「夜」と「朝」のような関係だと思っている。ソナタのほうが幻想曲より先に作曲されているが、モーツァルトはどうしても夜の神秘体験を表現したかったのだろう。幻想曲の斬新性を思うとき、単独では理解されがたいため、ソナタとセットにしたのかもしれない。
モーツァルト : ピアノ・ソナタ全集モーツァルト : ピアノ・ソナタ全集
販売元 : Amazon.co.jp 音楽
価格 :
[タイトル] モーツァルト : ピアノ・ソナタ全集
[アーティスト] 内田光子
[レーベル] マーキュリー・ミュージックエンタテインメ..
>>Seesaa ショッピングで買う
posted by やっちゃばの士 at 01:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツアルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月17日

モーツァルト 幻想曲二短調

 5月の夜はまだ肌寒い。葉っぱをいっぱいにつけた桜の木が夜の並木道をいっそう暗くしている。ここは街なのでふくろうも鳴かないが、僕は昔湖畔を眺める森での体験を思い出した。5月だった。夜の森にはちょっと悲しい響きの鳥の鳴き声が一晩中続いていた。僕はちょっと緊張していたが、暖かい布団の中でいつのまにか眠りについた。

 幻想曲(ファンタジー)とは何だろうか。僕はモーツァルトの幻想曲を聴くと、悲しみの曲なのか、想像の世界の曲なのか、夢の中の曲なのか、花鳥風月を表現した曲なのか分からなくなってくる。悲しみのような気もするが、ここでいう悲しみは「疾走する悲しみ」でもないし、「深刻な悲しみ」でもないような気がする。

 アルペジオの始まりは、今あるところから、意識だけが離れてどこかに吸い込まれていくような感覚を抱かせる。それに続く感傷をおびた旋律は、何かを偲んでいるようにも思う。そして、下降音型とともに意識はさらに深い淵へと降りていく。僕は先回、「幻想曲ハ短調」についてあの世の音楽と書いたが、このニ短調では異次元の世界に足を踏み入れる前までの世界に留まっているように思う。

 曲はいたってシンプルなつくりだが、この幻想の淵に吸い込まれていくような曲想はまさに「幻想曲」という名にふさわしい。後にシューベルトが「幻想曲」の傑作を作曲するのだが、シューベルトと較べても、モーツァルトの幻想曲は神秘性に満ちている。
モーツァルト:ピアノ・ソナタ集第4巻(第11&15番、ソナタヘ長調、幻想曲ニ短調)(紙ジャケット仕様)モーツァルト:ピアノ・ソナタ集第4巻(第11&15番、ソナタヘ長調、幻想曲ニ短調)(紙ジャケット仕様)
販売元 : Amazon.co.jp 音楽
価格 :
[タイトル] モーツァルト:ピアノ・ソナタ集第4巻(第11&15番、ソナタヘ長調、幻想曲ニ短調)(紙ジャケット仕様)
[アーティスト] グ..
>>Seesaa ショッピングで買う
posted by やっちゃばの士 at 00:11| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツアルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月18日

モーツァルト弦楽四重奏曲第18番イ長調(ハイドンセット第5番)

 ニュースでもドラマでも、扱われる話題は非日常的な出来事が中心だ。仮に日常的な出来事だけのニュースやドラマがあったら、視聴者はみんな退屈してしまうだろう。だから、そういった話題はニュースではトップを飾るし、ドラマや劇でも出だしをインパクトの強いものにすることは重要である。これは音楽についても言えることだと思う。名曲はどれも出だしからして個性的だ。

 モーツァルトの作品も人気ある作品は出だしが印象的だ。2つのト短調交響曲、『フィガロの結婚』序曲、レクイエムと挙げたらきりがないが、出だしが名旋律という作品は、きっと作曲者のインスピレーションによるところが大きいのだろう。インスピレーションと熟達した作曲技術によって作曲家は音楽を作るだろうが、概して名曲というのはインスピレーションの割合が大きいような気がする。

 モーツァルトの傑作の中には、日常的な平々凡々としたとても地味な主題をもつものでも、実に味わい深い曲がある。ハイドンセットの第5番はまさにそのような曲の代表だと思う。この曲はハイドンセット6曲の中で、外面上は最も目立たない曲と言ってもいいのかも知れない。『狩』や『不協和音』などのニックネームはないし、曲の始まりは至って平凡である。弦楽四重奏というジャンル自体が地味なのだが、その中でも地味なのだから知らずと通り過ぎていく人もいるのかもしれない。

 この曲の中で、とりわけて目立つのが第三楽章の長大なアンダンテである。このアンダンテは変奏曲形式で歌心に満ちていて、まるで「昔昔あるところに〜」といったおとぎ話のような調子で始まる。おとぎ話を聞いているうちに、こっくりこっくり夢心地になり、いつの間にか夕暮れ時になっているといった感じの情緒が漂っており、僕はいつまでもこの情緒の中に浸っていたい。ハイドンセットの中で変奏曲と言えばニ短調四重奏曲の悲しみに満ちた終楽章が印象的だが、変奏曲の存在は、ハイドンセットを聴く大きな楽しみのひとつになっている。。(僕の以前の記事

 この曲はベートーヴェンが研究したことでも有名だが、主題労作の得意なベートーヴェンからすれば、この地味な主題を見事に展開して傑作に仕上げてしまうこの曲はまさにお手本のような曲だったのではないだろうか。そこには、作曲家に共通する職人気質といったものを感じることができる。

 ハイドンセット(全6曲)は速筆のモーツァルトが2年間という異例の長い期間をかけて作曲したということから、僕は特別な意味を持つ作品だと思っている。そこにはインスピレーション以外の作曲家として構想を練りに練った努力の跡を感じ取ることができるからである。モーツァルトはハイドンセットの作曲によって作曲家としても、人間としても大きく成長できたのだろう。そして、そのことに本人はおそらく気づいていたのではなかろうか。僕のような凡人でも、すらすらとうまく仕上げることができた成果物よりも、悪戦苦闘しながらも立派に仕上げた成果物の方に愛情がいくのだから。

posted by やっちゃばの士 at 18:58| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツアルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月21日

モーツァルト 弦楽四重奏曲第19番ハ長調『不協和音』(ハイドンセット第6番)

 6曲のハイドンセットの中で、『狩』と並んで有名な『不協和音』だが、このニックネームの由来となった曲冒頭の序奏をめぐって、この不協和音の意味するところは何だろうと誰しもが考えるのではないだろうか。なぜなら、序奏の不気味な不協和音とハ長調の主題で始まるその後の明快な音楽とのギャップがあまりにも大きく、両者の関係性があるように思えないからである。

 僕がこの曲をはじめて聴いたときのこと。この不気味な序奏を聴きながら、いったいこの序奏の後にどんな音楽が展開されていくのだろうと、胸を躍らせていた。ところが、序奏後の音楽のあまりにも勢いのある明快な音楽に思わず騙されたと思ってしまった記憶がある。

 ハイドンセットはモーツァルトが新しい音楽表現を目指して全身全霊をを傾けて作曲した作品で、どの曲も個性的な内容を持っている。その最後にあたるのがこの『不協和音』なのだが、5曲の違った顔を持つ四重奏曲のあとに、最後はどのような曲で締めようかとモーツァルトは考えたのだろう。絵の具を全部混ぜたら黒に近いぐじゃぐじゃな色になるように、5曲を全部混ぜたらこのような不協和音になるのではないだろうか。ひょっとしたら、そんな遊び心があったのかもしれない。

 さて、僕はこの曲の勢いある明快さに、草原を駆けていく一頭の白馬を見るような思いになる。混沌から新しく生まれた白馬である。そして、その白馬の向かっていくかなたには新しいロマン派音楽の森が横たわっているのが見える。
posted by やっちゃばの士 at 22:24| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツアルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月01日

モーツァルト 弦楽四重奏曲第16番変ホ長調(ハイドンセット第3番)

 夜はすっかりひんやりした空気に覆われるようになった。草むらの陰から聞こえてくる虫の音を聴きながら、季節の移り変わりの妙というものを思った。

 ハイドンセットの第3番は、和声の微妙な変化が目立つ曲。季節の妙とこの和声の妙を掛けてみたくなった。アンダンテ楽章。秋の夜の野原に降り注ぐ月の光の波のリズムをチェロが刻み、その上を和声が移ろいながら、妙の世界を展開していく。秋の夜、思いはどのように変化していくのだろうか。

 この曲はハイドンセットの中で、最も女性的な曲とされているが、第1楽章や第2楽章に見られる、これでもかというほど頻繁に登場する半音階の主題に、モーツァルトのこの曲にかける意気込みを感じる。
モーツァルト:弦楽四重奏曲第16番&第19番モーツァルト:弦楽四重奏曲第16番&第19番
販売元 : Amazon.co.jp 音楽
価格 :
[タイトル] モーツァルト:弦楽四重奏曲第16番&第19番
[アーティスト] クイケン四重奏団
[レーベル] コロムビアミュージックエン..
>>Seesaa ショッピングで買う
posted by やっちゃばの士 at 18:23| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツアルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月19日

モーツァルト 弦楽四重奏曲第17番変ロ長調『狩』(ハイドンセット第4番)

 秋たけなわといったところだろうか。初秋の暑さもないし、晩秋のような寂しさもない、収穫の秋、文化の秋、グルメの秋、もっとも知的でいて温かさも感じるのが、この時期の特徴だと思う。

 そんな秋のたけなわに聴いてみたいのが、この四重奏曲『狩』。第1楽章冒頭。僕は狩に行ったことがないので、狩のイメージは湧かないが、紅葉した森や公園にジャケットを羽織って出掛けていくあのわくわくした思いにさせてくれるのは間違いない。紅葉した街路樹の向こうに楽しいことが待っている。演奏会か文化祭か、レストランか、ちょっと地味だが図書館か。まあとにかくこの曲は秋の幸福感を大いに与えてくれるのである。

 さて、この四重奏曲は中間の第2、第3楽章が非常にゆっくりとしていて、いつの間にか内省的な思いの世界に入っていくのが印象的だ。楽しい秋だが、ふと気がつくと落ち葉が舞って、暮れていく悲しさのようなものを感じてしまうのである。

 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき  猿丸大夫

 第4楽章は、我に返ったかのようにテンポの速い音楽。本当にすばらしいモーツァルトらしい音楽で、「いろいろあったけどよかったねえ」というモーツァルトの優しさがひしひしと伝わってくる。うーむハイドンセットはどの曲も甲乙つけ難いが、芸術の秋、弦楽四重奏曲といえばこの曲が一番ぴったり来るのではなかろうか。

posted by やっちゃばの士 at 00:24| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツアルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月26日

モーツァルト 交響曲第31番ニ長調『パリ』

 春になるとモーツァルトの曲が聴きたくなる。ハイドンもベートーヴェンもいいけれども、モーツァルトでしか味わえない音楽というものが確かに存在する。


瑞々しい感性
躍動するようなリズム



 モーツァルトの音楽しか聴かないという人がいるのも頷ける。ただ、モーツァルトの作品にもいろいろとあって、わかりやすく目立つ曲があるかと思えば、何度も聴かなければ良さがわからない曲もある。

 モーツァルトはあらゆるジャンルに傑作をたくさん残しているが、そのなかでも交響曲は「すごい」曲が何曲もある。そんなすごい曲の中で、超有名曲でない曲が1曲だけある。それが


交響曲第31番ニ長調『パリ』

である。いわゆる後期6大交響曲や小ト短調(25番)ほど有名ではないが、この曲ほどモーツァルトでなければ作曲できないと思わせる曲もないだろう。


第41番が『ジュピター』ならば、第31番は『アポロン



とでも形容したくなる風格を持っている。『パリ』という表題は、この曲がパリの演奏団体からの注文によって作曲されただけの理由で、曲の持つ性格から表題をつけるなら『アポロン』がふさわしいと思う。

 この曲はモーツァルト22歳の時の作品で、30歳以降になって作曲された円熟交響曲と比べれば完成度は落ちるかもしれないが、それらの曲にはない


エネルギー
若々しさ
行け行け感
壮観さ

などがある。実際にこの曲は前作30番から4年の歳月を経て書かれただけあって、モーツァルトとしては異例の時間をかけて作曲されたようである。そのためか「自信」と「意気満々」などといった気持ちにさせてくれる力がこの曲にはあると思う。

m.JPG




posted by やっちゃばの士 at 17:59| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツアルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。