2008年10月16日

リヒャルト・シュトラウス交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』

 東京湾に浮かんだ白い月。何千年前の旅人も、何千年後の後孫もやはり同じような表情の月を見るのだろう。幸福な人は、月の光に祝福を感じ、幸せを感じられない人は癒しを感じるのだろうか。

 ツァラトゥストラは山の中に10年間こもっていたが、ある日人々に知恵と思想を説くために山を下るのである。僕はこの山を下る一節に感動して、岩波文庫を買った。多くの比喩や自然が登場し、芸術を愛したニーチェならではの独特の表現が印象的だった。それでも、高校生の僕には難解だった。確か上巻だけ読んでやめてしまった記憶がある。

 それにしても、ツァラトゥストラは夜の音楽。弱者を癒す音楽だ。憧れの主題も喜びの主題も、夜の幻想の中に咲き乱れた幻の花々のようだ。夢の中で生きようとする超人の思想。まさにこれは、弱者が強者に生まれ変わる思想である。

 哲学は個人体験が大きく影響するものだ。牧師の子として生まれたニーチェだったが、病弱だった彼はおそらく幸福な幼少期を送れなかったのだろう。そのような自分を救ってくれないキリスト教に背を向け、成功した裕福なワーグナーにも背を向けた彼の生き方を見ていると、彼は幸福を自ら拒否する弱者だったのだろう。

 知には満たされていたが、愛に満たされなかったのであろう。人間の心には知情意があるのだが、知は真理を求め、情は愛を求め、意は行動を求める。知によって愛を得ることのできなかった彼は次第に孤独に、苦痛になっていく。苦痛をそのまま受け入れて生きる。苦痛を受けている自分を肯定する。そこには善悪も愛も感謝もない。ただ盲目的に生きようとする意志があるだけ。弱者が強者に生まれ変わるのだが、そこには何をやっても許されるという権力が絶対的なものとして生まれる。危険な思想だ。

 今、格差社会と言われているが、このような弱者が強者に化けようとする思想が知らず知らずのうちに育っているのではと思ってしまう。秋葉原のテロ事件はそのような例のひとつだろう。ニーチェの哲学はアンチ幸福から出発していることを忘れてはならない。

 今日は音楽から全くはなれた内容になってしまった。音楽は恍惚と癒しを与えてくれるすばらしい夜の音楽だ。この曲はシュトラウスの交響詩の中でも難解だと思っていたが、今はとても奥の深い曲だと思うようになった。ニーチェのことは忘れて秋の夜長に聴いてみよう。

posted by やっちゃばの士 at 22:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | リヒャルト・シュトラウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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