2010年03月02日

ブルックナー 交響曲第3番ニ短調

 春先の冷たい空気の中にあって、田んぼの草の種も街路の木々の芽もまだひっそりと暗闇の中で息をひそめている。ものすごい生命力に満ちたエネルギーを宿しながら。

 
ブルックナーの交響曲の中で最もエネルギーに満ち溢れた交響曲として


交響曲第3番ニ短調


を僕は真っ先にあげたい。ワーグナーに献呈されたため、『ワーグナー』というニックネームがついたこの曲は、紛れもないブルックナー最初の大交響曲である。


もっともワイルド(野性的)な交響曲
金箔で飾り立てられたような神々しさ
ブルックナーらしさが一番感じられる作品

などの形容を僕は冠したい。清純な抒情と巨人的な主題とリズム、咆哮する金管楽器のユニゾン、陽気な田舎人の踊り、そしてこれだけ巨人的な音楽でありながら、自信がなさそうにときおりためらうその進行は、ブルックナー要素に満ち満ちている。


 ブルックナーにとってニ短調は特別な意味を持つ。ニ短調はベートーヴェンの第9と同じ調性であり、曲の流れも第9と同じ悲劇から勝利へだ。この交響曲は哀愁に満ちたトランペットの主題で始まり、最終楽章では、第1楽章、第2楽章、第3楽章の断片が姿を表し、輝かしすぎるコラールで曲を結ぶ。

 また、ニ短調はブルックナーがもっとも気に入った調性だった。ニ短調の作品には


ミサ曲第1番ニ短調
交響曲第0番ニ短調
交響曲第9番ニ短調


と大作が4曲もある。ミサ曲ニ短調はブルックナーの人生最初の成功作品であるため、この調性に対して大いなる自信を持っていたに違いない。実際に、この交響曲第3番ではミサ曲ニ短調のエコーを聴くことができる。

 輝かしい勝利のミサ曲ニ短調の直系であるこの自信作は、初演当時全く不評だった。なぜ不評なのかブルックナーは悩んだに違いない。彼は何度もこの作品の改訂を手掛けている。その結果、初稿と最終稿の音楽はかなり異なるものになってしまった。現在普通に演奏されるのは最終稿である。

 僕がこの交響曲を初めて聴いたのは、インバルの初稿版のCDを買った高校生の時だった。当時インバルのブルックナー全集の録音が進行中で、僕のブルックナー入門はインバルから始まったのだった。何度も繰り返して聴いた初稿の音楽は僕の心には焼き付いてしまっており、その後最終稿の名盤をいくつも聴いてみたが、この初稿の魅力には及ばない。初稿は最終稿に比べて荒削りだが、晩年のブルックナーにはない上記に形容したブルックナーの新鮮な魅力が詰まっている。


冬の大地に打ちたてた金字塔




posted by やっちゃばの士 at 23:48| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ブルックナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月10日

ブラームス クラリネット五重奏曲ロ短調

 正午過ぎから降り続いていた冷たい雨は、日暮れから間もなくして大粒の雪に変わった。車のフロントガラスに当たった雪はこんこんと音を立てて跳ね返り、あっという間に白くなっていく都心の路上に気を取られながら帰路を急いだ。

名残惜しいこの冬最後の牡丹雪

 それにしても雪は不思議な存在だ。雪が積もれば都心の交通はマヒし、経済活動にも支障が起こる、雪は迷惑な存在だ。しかし、雪を普段見ることのない都心に暮らす身には、積雪は期待を抱かせる出来事であり、「仕事に支障をきたして困るけれども、積雪の世界を見たい」と思わせる矛盾した存在だ。「合理性の追求」と「情緒性の追求」の先には、「心地よい緊張感」がある。こういうのを「スリル」と言うのだろうか。

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 真冬の雪と違って、春先の雪にはどこか名残惜しさを感じてしまう。そこには「合理性」よりも「情緒性」を喚起させるものがある。3月という月が連想させる「別れ」「ノスタルジー」などといった言葉が「雪」にかかってそうさせるのだろうか。僕が春の積雪を見ると決まって思い出す音楽がブラームスのクラリネット五重奏曲のアダージョだ。


過去の甘い思い出に浸った曲


 晩年創作力の衰えを感じたブラームスは、いったん作曲の筆を絶ったが、名クラリネット奏者ミュールフェルトとの出会いによって再び創作力を刺激され、この名曲を作曲する。この曲は間違いなくブラームスの最高傑作のひとつだが、青年期、壮年期のブラームスの持つ音楽の楽想とは全く異なる。この曲ほど「さびしさ」と「甘さ」がみぞれ交じりの雪のように一緒になった曲がかつてあっただろうか。音楽家として地位も名誉も手に入れたブラームスにとっては、かつてのように「偉大な作曲家からの重圧」も「野心」も、もはや無縁であった。過去をいと惜しむような心情が素直に綴られているだけである。


クラリネットが浮かび上がる甘い「過去」
弦楽器が忍び寄るさびしさの「現実」



をわかりやすく伝えてくれる。わかりにくいと言われるブラームスの大曲の中にあって、これほどわかりやすい曲は他にはないだろう。


ブラームスは演歌の極みにまで達している


と言っても過言ではないと思う。俗に作品が演歌的だと言われるチャイコフスキーはブラームスの作品に対して批判的だった。ベートーヴェンのように短い主題を巧みに展開していくブラームスの音楽の作り方に不自然なものをチャイコフスキーは感じていたのかもしれない。(ちなみにチャイコフスキーはベートーヴェンよりもモーツァルトを尊敬していた)しかし、クラリネット五重奏曲はチャイコフスキーの作品が持つ演歌的魅力をはるかに超えてしまった。おまけに、室内楽の傑作を何曲も残したブラームスの室内楽の作曲技法の集大成を同時に見ることができ、演歌的だが飽きがこない恐るべきレヴェルに達している。チャイコフスキーがこの曲を生前に聴いていたらどのように評しただろうか。

 最後に、この曲の最終楽章は変奏曲形式になっている。最終楽章を変奏曲形式にすると、非常に回想的な雰囲気が強まる。ブラームスの作品では、交響曲第4番や弦楽四重奏曲第3番で、他の作曲家で同じような効果を持つ作品として、モーツァルトの弦楽四重奏曲第15番ニ短調があると思う。

参考に
http://yachaba.seesaa.net/article/90802493.html

posted by やっちゃばの士 at 14:27| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ブラームス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月26日

モーツァルト 交響曲第31番ニ長調『パリ』

 春になるとモーツァルトの曲が聴きたくなる。ハイドンもベートーヴェンもいいけれども、モーツァルトでしか味わえない音楽というものが確かに存在する。


瑞々しい感性
躍動するようなリズム



 モーツァルトの音楽しか聴かないという人がいるのも頷ける。ただ、モーツァルトの作品にもいろいろとあって、わかりやすく目立つ曲があるかと思えば、何度も聴かなければ良さがわからない曲もある。

 モーツァルトはあらゆるジャンルに傑作をたくさん残しているが、そのなかでも交響曲は「すごい」曲が何曲もある。そんなすごい曲の中で、超有名曲でない曲が1曲だけある。それが


交響曲第31番ニ長調『パリ』

である。いわゆる後期6大交響曲や小ト短調(25番)ほど有名ではないが、この曲ほどモーツァルトでなければ作曲できないと思わせる曲もないだろう。


第41番が『ジュピター』ならば、第31番は『アポロン



とでも形容したくなる風格を持っている。『パリ』という表題は、この曲がパリの演奏団体からの注文によって作曲されただけの理由で、曲の持つ性格から表題をつけるなら『アポロン』がふさわしいと思う。

 この曲はモーツァルト22歳の時の作品で、30歳以降になって作曲された円熟交響曲と比べれば完成度は落ちるかもしれないが、それらの曲にはない


エネルギー
若々しさ
行け行け感
壮観さ

などがある。実際にこの曲は前作30番から4年の歳月を経て書かれただけあって、モーツァルトとしては異例の時間をかけて作曲されたようである。そのためか「自信」と「意気満々」などといった気持ちにさせてくれる力がこの曲にはあると思う。

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posted by やっちゃばの士 at 17:59| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツアルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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