2010年02月02日

ハイドン 交響曲第44番ホ短調『悲しみ』

 ハイドンはその長い生涯の全範囲にわたって交響曲を作曲している。その作風の特徴は次の4つの時期にわけることができると思う。

第1期 エステルハージ副楽長時代まで
第2期 エステルハージ楽長時代前半
第3期 エステルハージ楽長時代後半
第4期 ザロモン興行時代



ハイドンの交響曲と言えば、第3期の後半から第4期に作曲された交響曲がメジャーだが、内面性という点では第2期の方が上なのではないかと僕は思う。

 
 第2期の短調交響曲の一群は

ハイドンのシュトルムウントドランク(疾風怒濤)交響曲


と呼ばれているが、実際に曲を聴いてみると、そのようなイメージはそぐわないものではないか。おそらく、ユーモアの要素が多いハイドンの交響曲の作風から見て、異色の存在なのでこういった大げさなニックネームがついてしまったのだろう。


僕はこれらの曲を聴くたびに、


ハイドンの芸術家としての内面の追求


を感じる。エステルハージ家という言わばクローズされた環境の中では、いつの間にか作曲の目的が、外面の効果よりも内面の追求に向かっていっても不思議ではないだろう。後期の有名な交響曲は、明らかに聴衆を意識しているためか、内面的な深みという点では一歩足らないような気がする。


山の中での武者修行


のようなイメージを僕は勝手に抱きながら、この時期の曲を楽しんでいる。


 交響曲第44番はハイドンの一連の短調交響曲の中で、もっともシンフォニックな曲である。ここでいうシンフォニックとは、オーケストレーションの響きの壮麗さや豪華さではない。曲の展開や流れのことである。


 特に1楽章のシンフォニックな展開は、聴いていて胸がすくようにすばらしい。主題は地味で、旋律らしい旋律はないのだが、曲の流れに勢いがあり、前にぐんぐん進んでいく感じがする。


ベートーヴェンがタイムスリップしたらこんな曲を作るのだろうか

 第3楽章は、ハイドンが自分の葬儀の時に演奏してほしいと頼んだ美しすぎるアダージョ。


人里から離れた野山にこんこんと湧く泉のような爽やかさがある


 また、全楽章にわたってホルンが柔和なアクセントを添えるのも印象的である。




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2010年02月16日

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番ハ短調

 冬の雨上がりの夕方。公園の木々が霧で霞んで見える。霧の先が見たいが、このまま霧に包まれていたいとも思う。それでもこのまま行くと霧がさあっと晴れていくのは間違いなさそうだ。


疾風怒濤


という言葉がある。この言葉はドイツ語のシュトルム・ウント・ドラングの訳語であるが、理性よりも感情に重きを置く芸術観、性質、表現などのことを表す。ドイツ語をそのまま訳すと「嵐と衝動」であり、上記で言う感情とは激しい感情のことである。

疾風怒涛の真っただ中にいる人間は、苦悩などを感じているはずなのだが、その苦悩と自らが同化することによって、その苦悩を味わう自分の姿を楽しんでしまうのだから不思議だ。


疾風怒濤の芸術は、明るい芸術作品と比べると、

強いメッセージ
強い吸引力


をもっている。ベートーヴェンの短調の作品がまさにそうである。そして、ベートーヴェンの短調の作品の中で最も、「疾風怒濤」的な作品は何だろうかと考えたとき、僕はまちがいなくピアノ協奏曲第3番をあげる。もちろん、

ピアノソナタ『悲愴』
第5交響曲『運命』
弦楽四重奏曲『セリオーソ』


など人によってその印象は異なるだろう。ただ僕は、次のような理由でピアノ協奏曲第3番が一番だと思う。


疾風怒涛には青年臭さが必要。『英雄』以降のベートヴェンではダメ
疾風怒濤には迫力と力強さ、重厚さが必要。オーケストラがいい


さて、この作品の1楽章冒頭の主題は、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番ハ短調とそっくりだが、その後の展開の仕方が違うのが、両者の気質の違いが面白いほどわかって興味深い。


悲しみに浸るモーツァルト
悲しみを押しのけて進むベートーヴェン


このベートーヴェンの作品は、将来の希望、青空が見えるような安心感がある。うまく表現できないが、


見通しの良い楽想


がそこにはある。







posted by やっちゃばの士 at 19:09| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ベート−ヴェン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月22日

ブルックナー 交響曲第9番ニ短調

 寒い日が続いているが、陽は明らかに長くなっている。それでも夕焼けの光は冷たく、まだ春が遠いなあと感じてしまう。こんなときに聴いてみたいと思うのが

ブルックナーの第九

である。ブルックナーの後期の3大交響曲は、どの曲も神々しく、気楽に聴いてみようなどという気持ちにはなれないのだが、その中でも、もっとも近づきがたいのが第9交響曲である。ブルックナーの第9に抱くイメージはどんなものがあるだろうか。

この世とは思えない響き
宇宙の振動
巨大
宗教的
混沌からの生成
神秘的
彼岸の音楽
白鳥の歌
ベートーヴェンの第9への類似性


などなどとても多くの言葉が思い出されるほど、この曲の与えるインパクトは大きい。

 さて、この交響曲は第3楽章まで作曲されたところで、作曲者が亡くなってしまったため未完成のままである。作曲者が第4楽章を作曲しようとしていたことは明らかであるため、数多くのブルックナーファンにとって、「この幻の楽章をブルックナーはどのような音楽にしようとしていたのか」ということはとても気になるところである。

 僕は音楽の流れにストーリーをつけると、第4楽章はなくてもいいと思っている。勝手なストーリーだが、


第1楽章 この世への惜別の歌
ブルックナーはこの曲の冒頭から神に対峙している。僕はこの楽章冒頭の宇宙の創造の始まりのような混沌とした音楽を聴くと、キルケゴールの宗教的実存という言葉がいつも浮かんでくる。この楽章の大きな特徴は

器楽的な音楽の大伽藍の中で、滔々と流れる演歌

ところだと思う。この曲が巨大ながらも親しみやすさをもっている原因はここにあると思う。


第2楽章 神秘的な天上と最後の審判
ブルックナーのスケルツオ楽章で、唯一土臭さがないのが何といっても特徴だと思う。

第3楽章 彼岸での白鳥の歌
上記以外に思いつく言葉がない。まさにブルックナーが譜面に「愛する神に」と書いたままの音楽である。悲しみより、感謝の思いの方が伝わってくる。

ところで、ブルックナーの交響曲は他の作曲家の交響曲と比べてとても季節感があると個人的に思っている。

9月 交響曲第7番
11月 交響曲第8番
1月 交響曲第9番


ということで近々3番と1番を取り上げようと思っている。







posted by やっちゃばの士 at 19:55| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ブルックナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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