2009年07月15日

マーラー 交響曲第3番二短調

 運河の水は青黒く、一目で夏が来たことがわかるようになりました。いつの間にか梅雨が明け、暑い夏がやってきました。夏の到来です。

 夏の到来を告げる曲と言えば、

マーラーの交響曲第3番

こそ一番ふさわしいと僕は考えています。第1楽章冒頭の8本のホルンによる雄大なユニゾンは、真っ青な青空にそびえる山脈の壮大さ伝えてくれます。このイメージは先入観なしに、この曲を初めて聴く多くの人が抱くのではないかと思います。

それもそのはず、この曲は、マーラーが夏休みに、自然のまっただ中にある作曲小屋で生み出したものだからです。作曲当初はそれぞれの楽章に標題が付いていました。

第1楽章「夏がやってくる」
第2楽章「野原の花が私に語るもの」
第3楽章「森の動物が私に語るもの」
第4楽章「夜が私に語るもの」
第5楽章「朝の鐘が私に語るもの」
最終楽章「愛が私に語るもの」


この標題は、作曲者自身によって打ち消されましたが、この交響曲にかけるマーラーの思いを素直に表しているものとしてとても意味があるものだと思います。

この各楽章の標題を見て、そこにあるストーリー性、法則性を僕は感じます。それは

聖書の「創世記」とそっくり

であるということです。聖書の創世記においては、植物がまず創造され、次に動物が創造されます。そして、聖書をよく読むとわかるのですが、各創造日の最後に次のような表現があります。

夕となり、また朝となった。

これは面白い表現で、マーラーの標題もこのような順番となっています。そして、創世期では最後(第6日目)に、神が人間を創造し、

「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。」

と人間に祝福の言葉をかけます。マーラーは最終楽章について「『神が私に語ったこと』と名付けることすらできたかもしれない」とも語っています。

このようにみていくと、この交響曲の特徴を一言で表すなら、

作曲家(創造者)としての喜びにあふれた曲


ということになると思います。この作品にはマーラーの他の交響曲に見られるような苦悩とかペシミズムのようなものがありません。そして、マーラーの大好きな、軍隊リズム、小鳥のさえずり、角笛などの要素がすべて顔を出します。

僕はマーラーの交響曲の中では最もこの曲が好きだし、もっともマーラーらしい傑作だと思っています。


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2009年07月19日

マーラー 交響曲第6番イ短調

 今日も快晴でした。青い海と青い空。白い雲と白い波。夏になると、なんだか自分が大きくなったような気分になります。そう、誰にでも夏は平等に訪れるのです。

 思いは高原へと向かいます。高校時代修学旅行で訪れた上高地の光に包まれた光景を思い出すのです。

緑にきらきらと輝く河面
河原に転がった無数の白い石
青空にそびえる雪をかぶった高峰
青く輝く瞳と光に輝く髪の毛



すべてが甘い思い出です。この時間は思い出でしかなく、2度と取り戻すことはできません。ときめきと名残惜しい気持ちが同居した体験でした。

 僕がマーラーの第6交響曲を初めて聞いたのがちょうどこの修学旅行直前でした。第1楽章の甘い主題(アルマの主題)や中間部の天上の牧場のような音楽が、何度も何度も頭の中を巡っていました。この交響曲はとても


スイートな感情にあふれている


と思いました。『悲劇的』というニックネームがついていますが、絶望や諦念、厭世観などをあまり感じさせないのです。チャイコフスキーの『悲愴』やブラームスの第4交響曲のもつ悲劇性とはまったく別の悲劇性がそこにはあるように思います。


幸福な生活のときめき



幸福な時が失われていく不安


が叙事詩的な音楽によって表現されていきます。まるで


ギリシア悲劇

を見ているようです。曲想だけではなく、この交響曲の古典的な引き締まった構成も「ギリシア悲劇的」な雰囲気を感じさせる要因になっていると思います。この曲の雰囲気に近いものとしては

ブラームスの『悲劇的序曲』
リヒャルト・シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』


があげられるのではないかと思います。


4つの楽章はどれもとても印象深いものですが、やはり中心は第4楽章です。おそらくマーラーはこの第4楽章のために前の楽章を作曲して付け足したのではないか、と僕は思ってしまうほど、飛びぬけて充実しています。マーラーの交響曲の最終楽章の充実振りでは


第2交響曲『復活』とこの第6が双璧


です。よく聴けば、この2曲には共通の主題が顔を出します。


あと、さまざまな打楽器が登場するのがこの曲のもうひとつの大きな特徴です。このような多様な打楽器の使用は、内面的な意味があってのことか、外面的な音響効果を狙ってのものかわかりませんが、最終楽章のハンマーに関しては、マーラーは「英雄は運命の打撃を3度受ける。最後の一撃が、木を切り倒すように彼を倒す」と述べています。

マーラーはオーストリア辺境の田舎のユダヤ人の家に生まれました。「私はどこに行っても歓迎されない。“オーストリアにおけるボヘミア人”、“ドイツにおけるオーストリア人”、そして“世界におけるユダヤ人”だから」と自らの出自について述べているように、才能がありながらも社会からの疎外感をずっと感じてきたのでしょう。そのような彼は、音楽家的に成功し、美しい妻、子供も得ます。しかし、彼の心の根底には「ユダヤ人としての疎外感」という潜在意識があるため、


自分のこのような幸福が長続きするわけがない


と常に思っていたのでしょう。そして、「悲劇的」な第6交響曲の作曲をすることにより、現実的な悲劇の可能性を受容する準備をしようとしたのではないかと僕は考えています。





posted by やっちゃばの士 at 22:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マーラー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月24日

スクリャービン 交響曲第1番ホ長調

蒸し暑い夜が続きます。かすかに浜風が吹いているようにも思えますが、空気はどんよりとしています。思いを浜辺に寄せます。波が静かに寄せては返す風景が浮かびます。

 静かな波が次第に高まっていく

 波の音を聞いていると、スクリャービンの交響曲の持つ濃厚なロマンの世界を思い出します。まさに、波のような音楽です。彼の交響曲はもっぱら第4交響曲『法悦の詩』ばかりが取り上げられますが、濃厚なロマン性、波動のような独特な音の世界は、すでに第1交響曲から顕著に見られます。

 スクリャービンは1872年にロシアで生まれました。ラフマニノフとほぼ同い年で、モスクワ音楽院では同級生でした。2人とも音楽院ではずば抜けて優秀で、卒業時にともに金メダルをもらったそうです。また、ともピアノ曲が得意で、曲想はロマンティックですが、

ラフマニノフは叙情的ロマンティシズム
スクリャービンは官能的ロマンティシズム

と対照的です。時代的にはチャイコフスキーとプロコフィエフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィッチの間をつなぐ存在として認識されていますが、スクリャービンの音楽的特徴は「つなぎの存在」をはるかに超えていると思います。

 スクリャービンは交響曲を5曲作曲していますが、彼のピアノ曲と比べればマイナーな存在で、第1番、第2番に至ってはほとんど取り上げられることがありません。両曲とも

『トリスタンとイゾルデ』の亜流

とみなされても仕方がないほど、ワーグナー的です。しかし、そこにはワーグナー以上にロマン的、官能的な音楽が響いています。


波のような弦楽器の響き   まるで夢の中をさまようようです
甘い木管楽器の響き     楽園の小鳥のさえずりのようです
衝動のような金管楽器の響き 非常にエロティックな雰囲気です


交響曲第1番は全6楽章からなり、最終楽章では、合唱が芸術賛歌を歌い上げます。この最終楽章は、前の5楽章と異なり、夢からさめたような明るさを持っています。まるで、ドラマのエピローグのようです。

第1楽章 レント
官能的な音楽の始まり。何もないところからドラマが始まる。

第2楽章 アレグロ・ドラマティコ
衝動が頭をもたげる。圧倒的な官能の波。

第3楽章 レント
楽園の休憩

第4楽章 ヴィヴァーチェ
楽園での目覚め。

第5楽章 アレグロ
濃厚なロマンの崩壊。夢の終わり。

第6楽章 アンダンテ
エピローグ。芸術による人類の救済。

蒸し返る夏の夜。スクリャービンの濃厚な音楽に身を浸してみたいと思います。暑苦しい夜に、濃厚な音楽を聴くと、余計に暑苦しくなるのではないかという気もしますが、濃厚なロマンは妙に気持ちのいいものです。
 

posted by やっちゃばの士 at 00:07| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | スクリャービン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月29日

スクリャービン 交響曲第2番ハ短調

 流れる雲に。涼しげな三日月。浜辺の風は、塩を含んでべとべとしています。波を飲み込むような闇に、大輪の花火が上がっている。

濃厚なロマンとカタルシス
叙情の洪水とリリシズム


 今宵もスクリャービンの濃厚なロマンの世界に浸ってみたいと思います。第2交響曲は第1交響曲以上に濃厚なロマンの世界を描いた大作です。

闘争から勝利へというストーリー性
50分を超す大作
巨大な緩徐楽章の濃密なロマン
緊張感漂うブリッジ楽章と輝かしい終楽章



とどこかラフマニノフの第2交響曲を髣髴とさせるところがあります。両者の第2交響曲はまさに

ロシアの生んだ濃厚なロマンシンフォニーの双璧

です。波の中をさまようような、暑苦しさも多少ありますが、多彩な音色と、考え抜かれた構成、コラール風の美しい主題、時折見せる悪魔的な表情が、単調さを感じさせません。

 また、ロシア音楽を感じさせない非常にコスモポリタン的な音楽であることもスクリャービンの音楽の特徴です。ロシアよりもフランス
風のところが多分にあり、ドビュッシー、フランキスト風です。

第1楽章アンダンテ
全体の序奏部分に当たります。混沌とした悲劇の始まり。これから始まるドラマを予感させます。

第2楽章アレグロ
ここから本幕。ポエトリーな主題が力強く展開されていきます。

第3楽章アンダンテ
楽園の音楽。木管楽器の小鳥のさえずりと、トランペットの輝かしい響きとともに登場するコラール風の音楽にうっとりします。

第4楽章テンペステゥーソ
悪魔的な嵐で始まるブリッジ楽章。

第5楽章マエストーソ
輝かしい勝利の音楽。第1、第2楽章の主題が回想されるあたりは、フランクやサン・サーンスを髣髴とさせるところがあります。


この交響曲は、スクリャービンのロマン的作風時代の頂点です。次の第3番『神聖の詩』で違う方向を目指すようになります。

redon01.jpg
ルドン ペガサスに乗るミューズ
posted by やっちゃばの士 at 23:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | スクリャービン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月30日

スクリャービン 交響曲第3番ハ短調『神聖な詩』

 傷ついた巨大な怪物。誰しもの心の中にこのような怪物を持っています。否定もしないし、肯定もしないが、圧倒的な存在感を持つのがこの怪物です。

『神聖な詩』の冒頭のグロテスクな金管楽器の響きは、この巨大な怪物の出現を想像させます。

 スクリャービンの交響曲は、この作品からあやしい雰囲気を醸し出してきます。「耽美主義」とでも言ったらいいのでしょうか。闘争から勝利へといった精神的なストーリー性が少なからず感じられた第2交響曲とは違い、この曲には


苦痛から快楽へ


という官能的なストーリー性が流れています。曲想はますます現実の世界から離れ、何か夢の中を彷徨っているかのような感覚になります。

第1交響曲 全6楽章
第2交響曲 全5楽章


でしたが、この曲では各楽章に相当する3つのパートが続けて演奏されます。表向きは単一楽章になっています。こういった構成から

意識の流れ
形あるものから無形なものへ
絶対的なものから相対的なものへ


といった作曲者の意図を感じることができます。この曲が作曲されたのは20世紀の初頭ですが、この時代は、芸術、哲学、科学のすべての分野において、

モノからコトへ
秩序から無秩序へ
調性から無調へ


という考え方、価値観のシフトが起きます。この交響曲は調性をまだ持っていますが、次の『法悦の詩』では無調になります。時代の影響を受けたからかどうかはわかりませんが、一個人の創作の発展の結果という必然性もあるのではないかと思います。詩的な世界を究めていくと、ただ波のような心の運動(エネルギー)だけが残るのかもしれません。


第1部 闘争
鈍重な巨人のファンファーレに続き、どこか後ろめたいセンチメンタルな主題が顔を出します。僕はこの主題を聴くと、

『ワルキューレ』の冒頭の、ジークムントの逃走の音楽

を思い浮かべます。破れかぶれの苦痛と、苦痛から逃れようとするあこがれのようなものが、ドラマティックな音楽を作っています。

第2部 悦楽
どこか非現実的な夢の園での響きです。苦痛から逃れた巨人は癒され、まどろみます。深い眠りへ、限りなく落ちていく存在。

まるで『トリスタンとイゾルデ』の夜の音楽のようです。

また

『ニーベルングの指輪』のブリュンヒルデの動機によく似た主題が何度も登場します。


夜の世界に光り輝く太陽。弦楽器は悦楽の中を突き進む感情の高まりを奏で、時折聞こえる金管楽器の重々しい響きは、悦楽の大地ごと太陽から遠ざかり落ちていく感覚を表します。それでも、悦楽の園にはまるで何事もなかったように小鳥のさえずりが聞こえます。深く深く落下していきながら、巨人は次第に夢から覚めていきます。第3部へと続く直前の下降する音楽は、まるで夢の中から意識が浮かび上がってくるような印象を与えます。


第3部 神聖なる戯れ
夢から覚めた巨人は、苦痛を忘れて踊りだします。さわやかな波の音と風の息吹。軽やかなトランペットとハープの響きが印象的です。そう巨人は癒されたのです。前の交響曲(第2番)と同じように、第1部と第2部の音楽が思い出のように顔を出します。過去の苦痛も快楽も、すべてが芸術(音楽)のパレットの上で溶け合い、より大きな喜びへと発展していきます。ちょっと怪しいけれども、とても感動的な音楽で、何度でも聞いていたいと僕は思います


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ルドン『キュクロプス』
posted by やっちゃばの士 at 23:53| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | スクリャービン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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