2009年06月05日

キーワードクラシック「田園」@ベートーヴェン交響曲第6番ヘ長調『田園』

 緑や花が大変美しい季節となりました。東京は雨や曇りの日が多いですが、この時期一番美しいのは北海道でしょう。僕は札幌に2年間住んでいましたが、北海道の6月は、花と緑がいっぺんにやってきます。その時の感動は今でも忘れることができません。

 さて「田園」という言葉から人はどんな季節を想像するでしょうか。田園の風景にもには春夏秋冬があります。

 ほのぼのとひばりが舞う田園
 太陽がぎらぎらと照りつける田園
 刈り入れ時の楽しい田園
 厳しい寒さを耐え忍ぶ田園

人によってイメージは千差万別です。ただ、「田園」という言葉には、「都市」と対比する意味が暗黙的に含まれており、

癒し
のどか
潤い


を想像させることから、多くの人が春から初夏のイメージを抱くのではないかと思います。ここであげるベートーヴェンの『田園』交響曲もおそらく春から初夏をイメージする人が多いと思います。

雨の田園

僕は雨のこの季節に『田園』を聴くのが好きです。特に第1楽章を聴くときは、小雨のぱらつく田園風景を思い浮かべます。実は中学校の時、『田園』のレコードを始めて買ったのが雨の日だったのです。自らのこの体験が、共感覚として雨の日を連想させるのだと思いますが、この感覚はあながち的外れなものではないのではという気持ちもあります。なぜなら、

まだ田園の澄み切った光と空気と水

を感じないからです。夕方、都会から田舎へやってきたが、小雨がぱらついている。ちょっと散策して、今日はゆっくり宿で過ごすかといったような気分が満ちているように感じます。

『田園』にはそれぞれの楽章に作曲者自身が表題をつけています。

第1楽章『田園に到着した喜び』

上記に述べたように、まだ田舎についた喜びと、旅行の疲れが同居したような不思議な音楽です。僕がこの交響曲を初めて聞いた時、一番印象に残ったのが展開部です。ここでは喜びの鼓動が次第に大きくなっていくようなわくわくした音楽が響きます。ベートーヴェンの交響曲の主題展開部といえば、どの曲も提示部の第1主題がたたみかけるように展開されていくのですが、『田園』にはそれが見られません。したがって、この楽章にはほかの交響曲に見られるような緊張感がありません。喜びの鼓動は静まっていき、もとの落ち着いた雰囲気に戻ります。素朴に終わるところはまるで「お休み。また明日。」というちょっと疲れのようなものを感じます。

第2楽章『小川のほとりにて』

雨上がりの朝。澄んだ光と空気の中、きらきらと輝く小川へ散歩に出かける。小鳥の澄んだ鳴き声も聞こえてくる。聴覚と視覚に働きかけてくる本当に不思議な音楽です。この音楽を聴いていると、共感覚ということを考えてしまいます。

視覚と聴覚はつながっている

第3楽章『農民たちの集い』
非常にリラックスを感じさせる楽しい音楽です。田舎の空気満喫といったところでしょうか。僕はブルックナーのスケルツォ楽章のルーツはこの楽章にあるのではないかと思っています。

第4楽章『雷雨、嵐』
自分が嵐にあっているかのような錯覚を抱かせてくれる音楽。初めてこの曲を聴いたとき、ロッシーニの『ウィリアムテル』序曲の嵐と比較したのをよく覚えています。ただ、今では「嵐」と言えば、この曲を真っ先に思い浮かべます。

第5楽章『牧人の歌、嵐の後の喜ばしい感謝の気分』
雷雨の後の美しい虹を想像します。本当に感謝に満ちた音楽です。ベートーヴェンの感謝の歌は、たとえば弦楽四重奏曲第15番の第3楽章のように、すぐれたものが他にもありますが、田園の最終楽章ほど一寸の迷いや曇りのない音楽はありません。

haru.bmp
ミレー『春』


ベートーヴェンの田園は表題的な描写音楽のように見えますが、僕はとても内面的な音楽だと思っています。ベートーヴェンの純粋な心に浮かんだ美しい世界。

『田園』は人類史上最高の癒しの音楽

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2009年06月13日

キーワードクラシック「田園」A ヴォーン・ウィリアムズ 田園交響曲(交響曲第3番)

夏草や兵どもが夢の跡(松尾芭蕉)

田園には癒しの効果があると思います。都市と田園、文明と田園というように、田園はそれ単独で成り立つ言葉ではなく、都市や文明社会と対比されて成り立つ言葉だと思います。したがって、僕たちは自然が語る以上のメッセージや意味を、田園から感じ取っているものです。

イギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムズ(1872〜1858)はイギリスの田園を愛した作曲家でした。晦渋な曲が多い彼の作品のなかで、田園をテーマにした曲はとても優れていると思います。彼の音楽の最大の得意技のひとつが田園情緒の描き方です。

彼の田園情緒あふれる名曲としては

あげひばり(ヴァイオリン独奏つきオーケストラ曲)http://yachaba.seesaa.net/article/114412232.html

田園交響曲(交響曲第3番)
交響曲第5番


があります。今日取り上げる田園交響曲は、第1次世界大戦後に書かれた作品で、穏やかに広がる田園風景を見ながらも、不安や戦いの影が、まるで風のざわめきのように思いに浮かんでくるようです。癒しと過去の戦いへの淡い思い出が交差した作品です。

第1楽章 独奏ヴァイオリンの主題で始まるその情緒は『揚げひばり』によく似ています。この主題はその後、木管楽器に受け継がれ揺れるような田園情緒を醸し出します。背後の重厚なオーケストラは、何か重いものを感じさせ、この曲が単純に田園風景を描いたものではないということが明らかにわかります。

第2楽章 ホルンやトランペットの遠方から聞こえてくるような弱い響きが印象的です。まるで古戦場跡で昔の戦いをしのぶような音楽です。

第3楽章 穏やかで瞑想的な第1、第2楽章とは違った、動的な音楽です。「これから戦場へ出るぞ」といったような雰囲気の音楽で、旋律もハリウッド音楽のようにわかりやすく、戦闘映画のいざ出陣といったシーンにぴったり来る音楽だと思います。

第4楽章 風に乗ってかなたから響いてくるような独奏ソプラノが印象的です。この響きはシベリウスの独唱ソプラノつき交響詩『ルオノンタル』によく似ています。実際にヴォーン・ウィリアムズは生涯シベリウスを敬愛していたそうです。

ソプラノの響きは田園の中で失われた命ささげられた花束

のように美しくかぼそい。やがて思いがこみ上げてくるのか、次第に音楽が強く波打ちます。最後は、草原のかなたに消え入るようにソプラノが聞こえます。


posted by やっちゃばの士 at 23:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヴォーン・ウィリアムズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月18日

シューベルト 交響曲第4番ハ短調『悲劇的』

 よく言われることですが、ベートーヴェン以降の作曲家たちは、ベートーヴェンの交響曲をいかに超えるかという意識を持って交響曲の作曲に取り組みました。ベートーヴェンなど意識せずに「自分らしさ」を出せばいいのではないか、現代に生きる僕はそんなことを考えたり見たりするものですが、作曲家というのは、

音楽を作って、再現してもらう(自分でする)

という立場です。したがって、自分一人が聞いて満足する音楽を作るのではなく、公衆に満足してもらうという要素がどうしても必要になってきます。

作曲家とその作品は公的な存在になる宿命がある

ということになるでしょうか。ピアノ曲なら自分一人の世界で完結するかもしれませんが、ましてやオーケストラを必要とする交響曲です。交響曲を作曲するに際して、ベートーヴェンの交響曲と向き合うことを避けることができなかったのは仕方がないことだと思います。

シューベルトの第4交響曲は、19歳の時の作品です。短調の交響曲はこの曲が初めてで、作曲家自ら『悲劇的』というタイトルをつけました。この短調(ハ短調)とタイトルに僕は並々ならぬシューベルトの気合いを感じます。まさにこの作品は

ベートーヴェンのハ短調交響曲(第5番)に正面から向かった作品
以外の何物でもありません。そして同時にシューベルトの個性がいかんなく発揮された傑作です。

小さな巨人

とでも言ったらいいようなシューベルトの音楽の特徴がいっぱい詰まっています。ハイドン、モーツァルトそしてベートーヴェンとも違うまぎれもないシューベルトの音楽がそこにあります。

第1楽章の青春の悲しみに満ちた序奏。激しい雨に打たれながらも、遠くに晴れの空が見えるような安心感があります。抒情的な第1主題が巨人的に展開されたかと思うと、再び優しくなって柔和な第2主題に入ります。僕は、この起伏にとんだ美しい音楽が

流れるように展開していく

ところにシューベルトのすごさを感じます。シューベルトは短調の交響曲を2曲しか残しませんでした。

『悲劇的』
『未完成』


の2曲です。僕は若々しいエネルギーに満ちた『悲劇的』の方が好きです。梅雨のこの時期、何度も繰り返して聴きたくなる名曲です













posted by やっちゃばの士 at 07:57| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | シューベルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

キーワードクラシック「田園」B ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第5番ニ長調

 ここのところ、滝のような雨の日が多いですが、西日本では水不足が深刻なようです。僕の故郷の岡山も「晴れの国」なので、当然雨が少なく、岡山時代には節水を経験したことが何度かあります。

 今日も前回に続いてテーマは田園。再びヴォーン・ウィリアムズです。彼はその生涯に9つの交響曲を作曲しました。どの曲も個性が強く表れた傑作だと思いますが、親しみやすく、万人受けするものではありません。そんな彼の交響曲の中で、最初にその不思議な魅力にはまったのがこの交響曲第5番です。

田園交響曲(第3番)より田園の魅力にあふれている

というのが素直な感想です。田園情緒が大好きな僕は、最初この2曲を何度か聴きましたが、第5交響曲の方が惹きつける力が強く、ニックネームがあってもいいのではないかと思ったくらいです。両者の違いは

第3番は素直な田園情緒(絵画なら写実的な絵)
第5番は非現実的な田園情緒(絵画ならちょっとシュールな絵)


まるで、異次元世界にぽっかりと浮かんだ田園風景を見ているようです。この不思議な情緒が心に強く共鳴するのでしょう。

穏やかで瞑想的な弦樂器の響き
どこかうつろで不安げな木管楽器の響き

が非常に印象的です。この曲が作曲されたのは第2次世界大戦中でした。第3番は第1次世界大戦後の作曲で、戦争への悲痛な思いのようなものが感じられましたが、第5番は、戦争のさなかとあってか、悲痛さよりも、不安と不安を克服しようとする希望が強く表れていると思います。

この曲については、個人的には児島湾の干拓地の夕方の風景を思い描きます。

 初夏の夕暮れ時、まだあたりは明るいが、空気は霞んでいて、風はかすかに吹いている。どこか遠くから農機具の作動する小さな虫のような音が聴こえてくる。なぜか、ちょっと憂鬱な気分になるが、この風景の中をずっと走り続けたい。なにか懐かしさと希望を感じるから。過去でもあり未来でもあるこの時間を大切にしたい。


posted by やっちゃばの士 at 22:52| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ヴォーン・ウィリアムズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月30日

ブラームス ピアノ協奏曲第1番二短調

 6月も今日で終わり。なかなか梅雨が明けません。どんよりした曇り空の毎日、いつの間にか雨が降り出している情景に会うことが今年は特に多いような気がします。それでも激しい雷雨が梅雨明けを宣言する瞬間は刻一刻と近づいています。

 
 ブラームスのピアノコンチェルト第1番。どんよりとした梅雨空に挑戦するかのようなこのエネルギッシュな曲を僕は愛します。ブラームスのピアノコンチェルトは中学の時から何度も聴いてきましたが、円熟味あふれる大傑作の第2番よりも、この荒削りな第1番の方が圧倒的に聴いた回数が多いです。

 この曲から連想するキーワードは

「決断」と「迷い」
「内向性」と「爆発」
「純粋性」と「重層性」

です。この曲が作曲されたのはブラームスが20代前半のころ。シューマンとの出会いから別れまでの期間とすっぽりと重なっています。この曲の特徴である重苦しさと美しい憧れの2側面には、シューマンの悲劇とクララへの慕情が大きく関係しているのは間違いないでしょう。


@「決断」と「迷い」
この曲はとても重厚で長大な序奏で始まります。この重厚長大な序奏は、

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番

第1楽章のあの有名な大河の流れのような序奏と肩を並べる

ピアノ協奏曲の2大序奏

であり、ブラームスの作品でいえば、

交響曲第1番第1楽章

交響曲の歴史の濃縮エキスが詰まったような重厚な序奏と肩を並べる

ブラームスオーケストラ作品の2大序奏

です。この序奏は迫力満点の豪快な音楽なのですが、何度も聴いているととても不思議な感覚になります。なぜなら音楽が

「決断」と「迷い」

という相対立した2つの要素を感じさせてくれるからです。オーケストラの強奏は若きブラームスが「過去」を清算して「新しい出発」をする決意なようなものを、そして、第1主題の動機である「同じところを行ったり来たりする」ような徘徊する旋律は、過去あるいは現在のふっきれない思いを表わしているようです。「男らしさ」と「なよなよしさ」とでも言ったらいいようなこの2つの矛盾した要素はとてもブラームスの音楽らしいと思います。


A「内向性」と「爆発」
 この曲は「モニュメント」的なアイデンティティを持ってます。ピアニストとして出発したブラームスは、ピアノ曲を中心に、室内楽、歌曲などの作品を世に送り出してきました。が、ベートーヴェンを尊敬するブラームスからすれば、交響曲の作曲は作曲家としての大きな目標の一つだったに違いありません。交響曲の作曲を試みましたが、結果的には交響曲を断念し、ピアノ協奏曲として実を結びました。

 ブラームス最初のこのフルオーケストラ作品の曲想は非常に内向的です。内向的な思いを抑えきれずに爆発したといった方が適切かもしれません。なぜ、内向的なんでしょうか。僕はその答えの一つとして、この作品は、ピアノ曲『4つのバラード』作品10の答えになっているからだと思っています。このバラードの第4曲アンダンテ・コン・モートはまるで「霧の中をさまよい、霧の中に消えていくような」音楽です。このまま終わることはできないとブラームスは考えたのかもしれません。このあと、

セレナーデ第1番ニ長調作品11
埋葬の歌作品13


とオーケストラを伴う曲を作曲したのは、このピアノ協奏曲(着想時は交響曲)への布石のようにもみえます。ちなみに、このピアノ協奏曲の第1楽章展開部ほど長大な展開部はブラームスの他のオーケストラ作品では見ることができません。溢れるエネルギーを抑えることができなかったのか、この作品を最後に長大な展開部をブラームスは封印しています。


B「純粋性」と「重層性」
 この2つのキーワードはブラームスの作品全体に見られる特徴です。僕はブラームスという人は、非常に純粋な優しさを持った人だと思っています。伝記やエピソードではなく、これは彼の作品から感じ取ることができるものです。ベートーヴェンもそうですが、非常に作品は職人的で、仕掛けに満ちており「重層性」があるのですが、それらが生み出す情感はとても健康的な純粋性に満ちています。

 長大な第1楽章ばかりが注目されますが、第2、第3楽章は非常に若々しいさわやかさと純粋さを感じさせる傑作です。特に第2楽章のアダージョはブラームス自身が手紙の中でクララの肖像といったように、果てしのない優しさと慕情にあふれています。このような音楽は若い青年音楽にしか書けない音楽です。僕は、

ショパンのピアノ協奏曲第2番
グリーグのピアノ協奏曲
ブラームスのピアノ協奏曲第1番


の第2楽章を、ピアノ協奏曲の

女性を描いた3大アダージョ

だと考えています。







 
posted by やっちゃばの士 at 23:44| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ブラームス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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