2011年11月18日

お知らせ

『心の歳時記 やっちゃば士のクラシック今日の一曲』は『キーワードクラシック』に移転しました。よろしくお願いします。
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2010年06月18日

ベートーヴェン 交響曲第1番ハ長調そのA

 「学びて時にこれを習ふ、また悦ばしからずや。朋あり遠方より来たる、また楽しからずや。」(孔子)

 ベートーヴェンの交響曲第1番の第1楽章。作曲者の胸いっぱいの期待と喜びにあふれた音楽だ。よく「満を持して作曲発表した」といろいろな解説本に書かれているが、その通りだと思う。

 ハイドン、モーツァルトからの学びと独自性の詰まったこの交響曲はベートーヴェンがこの曲を発表した29歳までの音楽の集大成だと思う。


ハイドン、モーツァルトたちの交響曲の歴史
ベートーヴェンの29歳までの歴史


がこの短い序奏の中に詰まっている。僕がこの交響曲の中で、一番好きでまた一番すぐれていると思うのがこの短い序奏。出だしの和音の独創性ばかりが取り上げられるが、それ以上に、


作曲家として創造に携われる喜び
自分の時代が来たという自負

がひしひしと伝わってくる楽想こそベートーヴェンしか書けない音楽だと思う。何度も聴いていると第9の歓喜の歌に匹敵する賛歌なのではと思うのだ。

どの楽章も初期の交響曲とあってか、演奏時間が短くシンプルで、素人の僕でもべートーヴェンの特徴がよくわかる。僕なりに各楽章の特徴をまとめてみた。

第1楽章
@期待を膨らませる短い序奏
Aメカニカルな動きの第1主題(金聖響氏は「ベートーヴェンの刻みの音」と表現している)
B喜ばしい感情がにじみ出るような転調。序奏の最後の部分や、主題提示部の最後の部分

第2楽章
@ユニークな散歩しているかのような音楽

第3楽章
@メヌエットだがメヌエットならざる音楽。歌謡性が全くない
A非常にメカニカルな音の作り。第1楽章もすばらしいがこの楽章も革命的。

第4楽章
@冒頭の和音は第1楽章の最初の和音を連想させる。巧妙な仕掛け。
A躍動感に満ちたベートーヴェンらしい音楽。

 おそらく、誰しもがベートーヴェンの第1交響曲を聴くときに、「不滅の9曲の交響曲の最初の交響曲」という意識を持つため、些細なところに大きな意味を持たせたり、「英雄」」「運命」「田園」に劣らない傑作だと強調するかもしれない。ただ僕はそういった先入観や色眼鏡を捨てても、この交響曲は本当に評価されるべき曲だと思う。このような傑作が生み出された原因としてもちろんベートーベンの個性が一番大きいが、その個性を花開かせた様々な特殊な要因があるように僕は思う。

ベートーヴェンの第1交響曲の背景

@1800年に初演。ヨーロッパは新しい社会に突入しようとしていた。
Aドイツの片田舎ボン生まれの青年が成功を夢見てウィーンに上京。期待と野心。
B@Aによりベートーヴェン自身の英雄願望が時代のメルクマールに見事に連結した奇蹟。

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2010年05月31日

ドビュッシー 管弦楽のための映像より第3曲『春のロンド』

 もう5月も終わりとなるが、今年は例年のように暑い日がまだないように思う。なんだかじらされているような気分になる。

 じれったい音楽というのがある。僕にとってそのような音楽のひとつが、ドビュッシーの管弦楽のための映像の第3曲『春のロンド』だ。曲名から想像できるのは、楽しそうなうきうきした雰囲気だが、実際に聴いてみると、霧のかかったひんやりとした音楽が続き、曲の最後になって、イングリッシュホルンが沖縄民謡風の祭りの始まりの音楽を奏でて終わるというもの。

 ドビュッシーは『春のロンド』のスコアの冒頭に

五月よ、万歳。よくやって
きた。風の吹き流しをもって


と書いているのだが、どうもこの言葉と音楽がミスマッチに思えてしまう。実際に、「北国のロンド」とこの曲を揶揄した評論家もいたようである。しかし、印象主義の傑作の数々を生みだしたドビュッシーのことである。彼の自然や季節に関する感性は素人の感覚を超えたとても鋭いものがあるはず。ここには、ドビュッシーの季節を先読みする感覚があるのではないだろうか。

春の朝の霧と大気と光の中に

これから起ることを感じ取っていたのかもしれない。

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2010年05月22日

ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第4番へ短調

 ヴォーン・ウィリアムズの交響曲の中で最高の傑作はどれだろうか。オーソドックスな交響曲のモデルを基本に考えると、やはり第4番が妥当ではないだろうか。
 
 田園の風景を彷彿とさせる田園交響曲や交響曲第5番は、ヴォーン・ウィリアムズでなければ書けない彼の交響曲の代表作であることは間違いがない。ただ、この2曲はオーソドックスな交響曲の基準から考えると、静的でローカル感が強いので、交響曲の中の代表とするのはいささか気が引ける。

 このことは、ベートーヴェンの交響曲の代表は?という質問に答えるのに似ている。『運命』も『田園』もどちらが代表になっても全く異存がないのだが、ハイドンが確立した交響曲のスタイルを基準に考えると、交響曲の代表は『運命』というのがふさわしいだろう。

 1872年生まれのヴォーン・ウィリアムズの交響曲の第1作の完成は1910年、30歳台も半ばを過ぎてからのことであった。



1910年 交響曲第1番『海の交響曲』
1913年 交響曲第2番『ロンドン交響曲』
1921年 交響曲第3番『田園交響曲』



と彼の交響曲は4番の作曲に至るまで、標題のついた交響曲のみを作曲しており、そのためか第何番という番号はいずれの交響曲にもついていなかった。そして、1934年彼ははじめて標題のない4楽章制の交響曲を完成する。

 この交響曲はヴォーン・ウィリアムズのそれまでの交響曲には見られなかった激しさや不協和音が目立ち、現代性を感じさせる。それまでの作品がローカルならば、この作品は国際性を帯びている。僕はこの国際性と全曲を貫く激しい音楽に、当時の作曲家の置かれた位置というものが大きく10年の間で変わってしまったように思う。

 ヨーロッパにおいて第1次世界大戦はそれまでの世界のフレームを塗り替える大きな事件だった。第1次世界大戦前と後では当時の人々の心には大きな変化があったのではないだろうか。第2次世界大戦への序奏を感性の豊かな芸術家ならば感じることができたのではないだろうか。

 また、第1次世界大戦はロマン派音楽もしくはロマン派交響曲の終焉をもたらした出来事であると見ることもできるのではないだろうか。第1次世界大戦以降に発表されたロマン派の傑作交響曲はシベリウスの第6、第7交響曲くらいだろう。そのシベリウスでさえ、1924年最後の第7交響曲を作曲した後は30年間の隠遁生活の入るのである。

 さて、ヴォーン・ウィリアムズの第4交響曲が作曲されていたころ、ヨーロッパでは重要な出来事が起こる。1933年のナチス政権の誕生である。ヨーロッパを覆っていくファシズムに、自由主義経済社会の旗手であるイギリスは脅威と不安を抱いたことだろう。やがて第2次世界大戦がはじまり、イギリスはドイツ軍の激しい空襲を受けることになる。

 この交響曲は標題音楽ではなく、音楽が伝える不協和音も静けさもすべてが作曲家の心に浮かんだ世界である。特に印象深いのが、第1楽章の嵐のような音楽の跡に訪れる静寂の世界だ。

この静寂は嵐の後の静寂か それとも 嵐の前の静寂なのか
美しい田園はじっと身をひそめて嵐が来るのを待っているのだろうか




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2010年04月22日

ヴォーン・ウィリアムズ 『ロンドン交響曲』

 ドラッカーの処女作『経済人の終わり』を読んだ。すごい本だった。引き込まれて最初から最後まで一気に読んでしまった。ドラッカーについては、「マネジメント」や「仕事」など主に経営やビジネス系の著者というカテゴリーで捉えられることが一般的だが、それは結果論にすぎないと思う。彼のテーマはあくまで「人間」である。この処女作には、ドラッカーの根本的な思想がぎっしり詰まっている。ドラッカーを真に理解しようとすれば、本書を避けて通ることはできないであろう

 この本はファシズムに関して書いた本なのだが、ファシズムに対抗する人物としてチャーチルが登場する。僕の関心はチャーチルから第2次世界大戦、ロンドンへと移っていった。特に強烈に印象に残ったのは度重なるロンドンへのドイツ軍への空襲である。ロンドンは20世紀の初めには人口が600万人を超える世界最大の都市だった。市民はどのような気持ちで苦難の時代を過ごしたのだろうか。大都市ロンドンを音で描いた『ロンドン交響曲』を聴いてみようという気になった。

 『ロンドン交響曲』はヴォーン・ウィリアムズの9曲の交響曲の第2番目にあたる作品で、1912年から1913年にかけて作曲されている。作曲が完了した1913年は第1次世界大戦が勃発する前年であり、ヴォーン・ウィリアムズは41歳であった。したがって、この曲には戦争の影はなく、大都市ロンドンの日常の風景が生き生きと描かれている。各楽章には次のような標題がついている。

第1楽章 夜明け前から、ビッグベンの音とともに朝の目覚め、やがて街はにぎわいを増していく

第2楽章 夕暮れのロンドン。

第3楽章 夜のにぎわい。

第4楽章 貧者の行進

 このように交響詩的な内容を持っているが、作曲者はあくまでも交響曲のスタンスでこの曲を仕上げている。また、曲には作曲者の抒情と思想がこめられており、印象派風の音楽とは全く違った音楽になっている。

 オーケストレーションは英国の先輩作曲家エルガーのように地味ではなく、色彩感に富んでいる。ラヴェルに管弦楽法を学んだことが影響しているのだろうか。特に1楽章の色彩感は豊かでレスピーギの「ローマ三部作」に通じるものがあるように思う。ちなみに、「ローマ三部作」の作曲はいずれもロンドン交響曲の作曲完成よりも後の時代である。


17世紀〜20世紀半ばまでの世界の中心都市ロンドン
紀元前1世紀後半〜4世紀末までの世界の中心ローマ


 ヴォーン・ウィリアムズが現在のロンドンの街や人々の様子を描いているのに対し、レスピーギのローマは自然や遺跡や名所など風光明美と過去を偲ばせるものを描いているのは、この2つの大都市の特徴を象徴的に表しているように思う。従って色彩感と幻想美ではローマの方に長があるだろう。そのためなのか一般的には「ローマ三部作」の方が有名になってしまっているが、このロンドン交響曲はそれに決して引けを取らない名曲だと僕は思う。

posted by やっちゃばの士 at 00:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ヴォーン・ウィリアムズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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