ブラームスのピアノコンチェルト第1番。どんよりとした梅雨空に挑戦するかのようなこのエネルギッシュな曲を僕は愛します。ブラームスのピアノコンチェルトは中学の時から何度も聴いてきましたが、円熟味あふれる大傑作の第2番よりも、この荒削りな第1番の方が圧倒的に聴いた回数が多いです。
この曲から連想するキーワードは
「決断」と「迷い」
「内向性」と「爆発」
「純粋性」と「重層性」
です。この曲が作曲されたのはブラームスが20代前半のころ。シューマンとの出会いから別れまでの期間とすっぽりと重なっています。この曲の特徴である重苦しさと美しい憧れの2側面には、シューマンの悲劇とクララへの慕情が大きく関係しているのは間違いないでしょう。
@「決断」と「迷い」
この曲はとても重厚で長大な序奏で始まります。この重厚長大な序奏は、
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番
第1楽章のあの有名な大河の流れのような序奏と肩を並べる
ピアノ協奏曲の2大序奏
であり、ブラームスの作品でいえば、
交響曲第1番第1楽章の
交響曲の歴史の濃縮エキスが詰まったような重厚な序奏と肩を並べる
ブラームスオーケストラ作品の2大序奏
です。この序奏は迫力満点の豪快な音楽なのですが、何度も聴いているととても不思議な感覚になります。なぜなら音楽が
「決断」と「迷い」
という相対立した2つの要素を感じさせてくれるからです。オーケストラの強奏は若きブラームスが「過去」を清算して「新しい出発」をする決意なようなものを、そして、第1主題の動機である「同じところを行ったり来たりする」ような徘徊する旋律は、過去あるいは現在のふっきれない思いを表わしているようです。「男らしさ」と「なよなよしさ」とでも言ったらいいようなこの2つの矛盾した要素はとてもブラームスの音楽らしいと思います。
A「内向性」と「爆発」
この曲は「モニュメント」的なアイデンティティを持ってます。ピアニストとして出発したブラームスは、ピアノ曲を中心に、室内楽、歌曲などの作品を世に送り出してきました。が、ベートーヴェンを尊敬するブラームスからすれば、交響曲の作曲は作曲家としての大きな目標の一つだったに違いありません。交響曲の作曲を試みましたが、結果的には交響曲を断念し、ピアノ協奏曲として実を結びました。
ブラームス最初のこのフルオーケストラ作品の曲想は非常に内向的です。内向的な思いを抑えきれずに爆発したといった方が適切かもしれません。なぜ、内向的なんでしょうか。僕はその答えの一つとして、この作品は、ピアノ曲『4つのバラード』作品10の答えになっているからだと思っています。このバラードの第4曲アンダンテ・コン・モートはまるで「霧の中をさまよい、霧の中に消えていくような」音楽です。このまま終わることはできないとブラームスは考えたのかもしれません。このあと、
セレナーデ第1番ニ長調作品11
埋葬の歌作品13
とオーケストラを伴う曲を作曲したのは、このピアノ協奏曲(着想時は交響曲)への布石のようにもみえます。ちなみに、このピアノ協奏曲の第1楽章展開部ほど長大な展開部はブラームスの他のオーケストラ作品では見ることができません。溢れるエネルギーを抑えることができなかったのか、この作品を最後に長大な展開部をブラームスは封印しています。
B「純粋性」と「重層性」
この2つのキーワードはブラームスの作品全体に見られる特徴です。僕はブラームスという人は、非常に純粋な優しさを持った人だと思っています。伝記やエピソードではなく、これは彼の作品から感じ取ることができるものです。ベートーヴェンもそうですが、非常に作品は職人的で、仕掛けに満ちており「重層性」があるのですが、それらが生み出す情感はとても健康的な純粋性に満ちています。
長大な第1楽章ばかりが注目されますが、第2、第3楽章は非常に若々しいさわやかさと純粋さを感じさせる傑作です。特に第2楽章のアダージョはブラームス自身が手紙の中でクララの肖像といったように、果てしのない優しさと慕情にあふれています。このような音楽は若い青年音楽にしか書けない音楽です。僕は、
ショパンのピアノ協奏曲第2番
グリーグのピアノ協奏曲
ブラームスのピアノ協奏曲第1番
の第2楽章を、ピアノ協奏曲の
女性を描いた3大アダージョ
だと考えています。





